民事上の損害賠償請求

職場における負傷,仕事が原因となった疾病について,それが業務上のものと言える場合には,労働者は労災保険の各種給付を受けることができます。しかし,労災保険によっては,事故によって被った精神的損害の補償(慰謝料)は受けられませんし,休業補償給付,障害補償給付も支給額が定額化されているため,労働者が被った損害の全部が補填(ほてん)されるわけではありません。

そこで,労災保険によってはカバーされない損害については,事業主に対し,損害賠償を請求できるかが問題になります。

不法行為を理由とする損害賠償請求と「安全配慮義務」の違反を理由とする損害賠償請求

労働災害について事業主に損害賠償を請求しようとする場合,民法の不法行為責任(民法709条,715条,717条など)を理由にすることもできるのですが,不法行為責任は3年という短い期間で消滅時効にかかってしまうため(民法724条),使用者の安全配慮義務の違反を指摘して,債務不履行を理由とする損害賠償を求めるのが一般的です(債務不履行責任の時効期間は10年になります。民法167条)

「安全配慮義務」の内容

労働災害について事業主に損害賠償を求めることができるのは,使用者に安全配慮義務の違反があると言える場合です。

「安全配慮義務」とはどのような内容の義務なのでしょうか。ある裁判例では,この安全配慮義務を,「労働者が労務提供のため設置する場所,設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において,労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務」と説明しています(川義事件・最高裁昭和59年4月10日判決)

安全配慮義務の違反が認められる場合

どこまでの配慮をしていれば安全配慮義務を尽くしていることになるのかは事案ごとの判断になり,明確な基準があるわけではありません。
労働安全衛生法が定める労働者の危険または健康障害を防止するための措置を講じていなかったという場合は,労働安全衛生法違反として刑事罰が課されるだけでなく,当然,民事上も安全配慮義務の違反が認定されることになるでしょう。

しかし,労働安全衛生法に抵触していないというだけでは,安全配慮義務を尽くしたことにはなりません。
先ほどの川義事件は,呉服・宝石等の卸売りを行う会社で宿直勤務中であった従業員が,反物を盗みにきた元従業員に殺害されたという事案でした。会社側は,宿直員に鍵を開けさせるだけの関係がある人物が窃盗目的で会社を訪れ,その後,宿直員に対して殺意を抱いて殺害するなどということは予測することなどできないと主張し,会社には責任はないと争ったのですが,最高裁判所は,事業主には,盗賊等が容易に侵入できないような設備(インターホン,防犯チェーン)や万一盗賊が侵入しても盗賊から危害を加えられることを回避できるような設備(防犯ベル)を設け,あるいは,物的設備の整備が難しければ,宿直員を増員したり,従業員の安全教育を徹底するなどの措置を講じることによって,宿直員の生命・身体等に危険が及ばないように配慮する義務があったとし,会社は,これらの義務を尽くしていなかったと安全配慮義務違反の責任を認めています

過重労働と「健康配慮義務」

労働者の作業環境や作業内容自体は危険といえない場合であっても,長時間労働,過重労働によって労働者が健康を害してしまうということがあります。過労死,過労自殺がその典型です(過労死,過労自殺については後述)

判例では,事業主は労働者が過重労働により心身の健康を損なわないよう注意する義務(=健康配慮義務)を負っているとされていて,例えば,健康診断などを実施して労働者の健康状態を把握した上で,それに応じた業務の軽減など適切な措置を講じていなかった場合には,健康配慮義務に違反しているとして損害賠償責任を負うことになります

請求できる損害の内容  -労災保険との関係-

民事上の損害賠償請求によって請求できる損害項目は,①治療費,②休業損害,③慰謝料,④後遺症が残った場合の逸失利益(事故によって後遺症を負わなければ得られたであろう将来の収入)などになります。

労災保険の給付請求もしていて,すでに支給も受けている場合には,労災保険給付と損害賠償とを二重に受け取ることはできません。ただ,労災保険では,「慰謝料」に相当する給付はないので,慰謝料の支払いを受けようとするには民事上の損害賠償請求によるほかありませんし,休業損害についても,労災保険からは平均賃金の6割が支払われるだけなので(労災福祉事業から2割の特別支給金が支払われますが,これは損害の補填とはみなされません。),民事上の損害賠償請求によって,不足する4割分を請求することができます。

具体的にどの程度の請求をすることができるかについては,労災保険の支給内容を確認できる資料をお持ちになって,弁護士に相談をするようにしてください

過労死・過労自殺

過労死、過労自殺とは、簡単に言えば、働き過ぎにより、死亡、自殺に至ることです。事務所も参加している「過労死110番」全国ネットワークによれば,「過労死とは、仕事による過労・ストレスが原因の一つとなって、脳・心臓疾患、呼吸器疾患、精神疾患等を発病し、死亡または重度の障害を残すに至ることを意味します。また過労自殺は、過労により大きなストレスを受け、疲労がたまり、場合によっては「うつ病」を発症し、自殺してしまう事を意味します。」と説明されています。

1988年6月に、「過労死110番」全国ネットワークが電話による全国一斉相談を始めました。このことが契機になって、過労死の言葉がひろく日本社会に使用されるようになりました。 この埼玉でも,その翌1989年6月から,上記電話による全国一斉相談に参加してきました。この埼玉での電話相談は,この埼玉総合法律事務所において行ってきました。

働き過ぎによって,健康,精神が害され,具合が悪くなり,ひどいときは死亡に至った場合,他の労働災害と同様に,労災保険制度による給付を求めることも出来ますし,民事上の損害賠償を請求することもできます。

過労死,過労自殺がそれまでの労働災害と異なる大きな点は,それまでは,事故などの災害に基づく災害性負傷の場合を典型的なものとして捉えられていたのが,長時間の残業が長期間にわたって続いていたことによって健康を害した場合などのように,事故のような明確な出来事が起こらなくても,労災と認められることです。

2017年1月5日 | カテゴリー : 労働災害 | 投稿者 : kawaguchi-saiwai