〔lawyer’ blog〕✍ 20年振りの松江

宍道湖夕景

GWの前半,山陰地方を旅してきました。ふるさと納税の返礼品,大山Gビールを飲むうちに浮かんだ“妄想”に取り憑かれ,結局,妻を道連れに出雲,松江,そして倉敷(!)を旅することになりました。松江はNHKに勤めていた時の初任地。時代が昭和から平成へと替わる2年間をここで過ごしました。弁護士になってから,所属している法律家団体の大会が米子で開かれたことがあり,松江に前泊をしたことがありましたが,それも今から20年近くも前のこと。本当に久しぶりの松江訪問になりました。

まず驚いたのは,市の中央部の道路が片側2車線になっていたこと。宍道湖大橋までが片側2車線に! 私は松江で運転免許を取得したのですが,当時,市内には片側2車線の道路はJR松江駅の南側を走る国道9号線の数百メートルの区間しかなく,教習中に“車線変更”をしたという記憶がありません。現在は山陰自動車道なる高速道路までありますが,当時は山陰地方には有料道路すらなく,高速教習はビデオ視聴で済ませていました。東京に戻ってきてから,片側3車線の新青梅街道を初めて走った時のおそろしさは今でも忘れません(笑)。

道が拡げられたということは,それにともない街並みも変わったということ。“堀川めぐり”(これも30年前にはありませんでした。)の船の発着場の周辺は,カラコロ工房など色々な観光施設が整備されて活気がありましたが,東茶町や東本町の繁華街は,連休の昼間だったということもあるのかもしれませんが,かなり寂れた印象でした。そして,私の職場があった灘町,そのすぐ北側の白潟本町の界わい。天神町交差点から松江大橋南詰にかけて古い商店が立ち並ぶこの一帯の佇まいは,とても風情があって大好きな場所だったのですが,大規模な再開発の真っ只中にありました。山陰合同銀行本店ビルは解体されて瓦礫の山となり,隣には14階建ての新本店ビルがそびえ立っています。古くからの商店は,シャッターが閉まったままになっていたり,移転してしまっていたりと昔の面影はありません。私が働いていたNHKの放送会館は辛うじて当時のままの姿で残っていましたが,これも数年のうちに建て替えられるのだとか。30年という歳月が流れたことを改めて感じました。

そんな想いにとらわれながら松江大橋南詰に立ちすくんでいたところ,ある建物が目に入りました。解体工事の予定が書かれた標識の貼られています。“ぽえむ”が入っていた建物です。ネットには3月にも取り壊しが始まると書かれていたのですが,まだ工事が始まっていなかったのです。大橋の南詰,橋の本当にたもとにその建物はありました。大橋川越しに松江城を臨むことができる絶好のロケーション。“ぽえむ”がある時に来てみたかったなぁ。それでも嬉しくなって携帯を手にして撮影していたところ,通りかかった老夫婦から,“「ぽえむ」ですね。〇〇さんが亡くなってしまったからねぇ。”と声をかけていただきました。あの空間,そしてマスターを知る人と出会うことができて,時計が一気に巻き戻されたような感覚になりました。

この30年の間に多くのものが姿を消してしまいました。でも,お昼に「きがる」の割子蕎麦を食べ,65年振りに国宝に再指定された松江城の天守に登り,明々庵でまったりとした時間を過ごし,最後は県立美術館前から宍道湖に沈む夕日まで見ることができて,本当に良い思い出を作ることができました。