〔lawyer’ blog〕✍ モーニング・コンサート

東京での朝一番の仕事を終えて,次の示談交渉の仕事まで少し時間が空いたので,久しぶりに芸大奏楽堂のモーニング・コンサートに行ってみました。芸大の各専攻科から選抜された学生がソリストとなって藝大フィルハーモニア管弦楽団と共演するというこのモーニング・コンサート。昔は上野駅で乗り換えをする時,ちょっと時間があるなと思ったらたまに聴きにきたものでしたが,上野東京ラインができ,上野駅が通過駅になってしまってからは,すっかり足が遠のいていました。一昨年から加わった原発避難者訴訟の弁護団事務所が上野にあり,また上野駅で降りる“クセ”がついたので,手帳にコンサート・スケジュールをメモしていたのですが,なかなかチャンスがありませんでした。

今日の演奏会は2018年度の最終回。穏やかな良い天気で,演目も人気のラフマニノフのPコン3番ということで,当日券はまさかの完売。ダメ元と思って並んでいると,開演直前になって30席だけ追加販売があり,26番目で運よく入ることができました。沼田昭一郎くんのラフマニノフ,舞台に姿をみせた時は,華奢でちょっと頼りなさげに感じたのですが,いざ演奏が始まると別人のような力強さ。テクニックも抜群で圧巻のラフマニノフでした。昨年,藝大クラヴィーア賞を受賞したというのもうなづけます。

コンサートは2つのコンチェルト(沼田くんの前に藤田麻里奈さんのグレンダール:トロンボーン協奏曲の演奏がありました。)を休憩なしでやったので1時間余りで終了。あっという間ではありましたが,平日の昼間にこれだけの演奏を聴くことができて大満足。

コンサートの帰り,大学会館前の庭を歩いていたら,梅の花がきれいに咲いていました。もう春がそこまで来ているようです。

 

 

 

 

〔lawyer’ blog〕✍ 何という試合! 

気がついたら1月も残すところ1週間。新年になってからブログを更新しないまま3週間も過ぎてしまいました。といってもボーっとしていたわけではありません。2日の夜から3日にかけて「当番弁護士」の待機日。いつ出動の要請があるかわからないため,遠出をすることはできませんし,かといってお酒を飲みながら箱根駅伝をテレビ観戦するというわけにもいきません。4日に勾留満期を迎える被疑者国選弁護の事件も抱えていたため,正月気分を味わうことなく,なし崩し的に新年の仕事をスタートさせたのでした。

猪年なのでこのまま突っ走ろうかと思っていたところ,先週末に風邪をひいてしまってあえなくダウン。鼻水をすすりながら見たのが全豪オープンテニスです。グランドスラムの5セットマッチ,3時間を超えることも珍しくない男子の試合となると,試合開始からゲームセットまで通しで見ることなど滅多にありません。でも,風邪で思考力が著しく低下してしまってはほかにすることもなく,ソファーに横になりながら,WOWWOWで何試合か見てしまいました。フェデラーとツチパスの新旧対決は見応えがありました。10数本あったブレークポイントを凌ぎ切り,サービスゲームをすべてキープしてフェデラーを倒したツチパスのプレーの質には正直驚きました。ズベレフ,ティエム,ティアフォーなどの次世代エース候補の中から頭一つ抜け出したように思います。ネットプレーがもう少しうまくなれば,近い将来,間違いなく4大タイトルを手にすると予想します。甘いマスクで人気も出そう。

しかし,何より興奮したのは錦織圭とブスタの試合でした。2セットダウン,第3セットもタイブレークまで追い詰められましたが,そこを何とか切り抜け,2セットを挽回。ファイナルセットでは,ここを取れば勝利という第10ゲームのサービスゲームをブレークされる嫌な展開になり,10ポイント先取のタイブレークに入ってからもミニブレイクを先行され,5-8と3ポイント離された時はここまでかと思いました。そこから粘って5ポイントを連取するとは! 一昨年,右手首の腱を部分断裂するという大けがを負った時には,もう彼にはグランドスラムのタイトルを取るチャンスは巡ってこないのではないかと思っていたのですが,けがからは完全に復調し,体もひと回り大きくなったような気がします。弱点だったサーブもずいぶんと強化され,サービスゲームを安定してキープできるようになったのは大きい。今年は,もしかすると,もしかするかもしれません。錦織くんのプレーに熱中するうち,風邪はすっかりよくなったようです。

〔lawyer’ blog〕✍ 平成の終わり

来年5月,明仁天皇が生前退位されるということで,ここのところ“平成最後の”が続いています。元号については色々な意見がありますし,仕事をしていると西暦使用に統一してもらいたいと思うことが多いのですが,時代や世代の区切りとして使われる分には便利な面もあるような気がします。あと4ヶ月で平成も終わり。私にとっての平成は,放送局勤務から始まり,司法試験,司法修習を経て弁護士として活動をしてきた時代。20代半ばからの30年,色々なことがありました。

生前退位を控えた明仁天皇の先日の記者会見には考えさせられるものがありました。象徴天皇を受け入れてくれた国民やそれを支えてくれた皇后に感謝するとありましたが,“君主”とも“元首”とも違う,“象徴天皇”というこれまでにない地位をどのように受け止めればよいのか一番悩んだのは,敗戦時,11歳の少年だった明仁天皇ご自身ではなかったでしょうか。戦前,幼少の皇太子がどのような教育を受けていたのかは余り明らかにされていませんが,戦後,家庭教師のヴァイニングや小泉信三から受けた教育とは全く別物であったであろうことは想像に難くありません。明治憲法(大日本帝国憲法)から日本国憲法へと憲法が変わり,統治権の総覧者として神聖不可侵の地位にあった天皇は,日本国,国民統合の“象徴”へと置き換えられました。象徴とは何なのか,象徴天皇の果たすべき役割は何なのか。ひたすらにそのことを考えながら「旅」を続けてこられたのだと会見を見ていて感じました。

学生時代は,天皇制と民主主義,国民主権とはおよそ相容れないものと考えていました。しかし,民主主義も万能ではなく,君主的な存在がプレビシットによる独裁をけん制するということも世界では現実に起きています。平成後期の日本もそのような時代として後世では評価されることがあるかもしれません。そんな平成も残すところあとわずかです。

〔lawyer’ blog〕✍ 富岡町の現在(いま)

1月ほど前のことになりますが,福島県双葉郡にある富岡町に行ってきました。担当している原発避難者訴訟の原告の皆さんが事故前に暮らしていた町です。弁護団では,裁判所に被災地まで足を運んでもらい,被害の実態を見てもらうことを計画していますが,その準備のための視察でした。

富岡町は,帰還困難区域に指定されている一部を除いて,昨年4月1日に避難指示が解除され,町の中に人が自由に立ち入ることができるようになりました。視察の出発点にしたJR富岡駅は,駅舎も新しくなり,駅前ロータリー,公衆トイレも整備され,近くにはビジネスホテルもオープンしていました。国道6号線はひっきりなしにトラックが行き来し,町の中心部に作られた複合商業施設「さくらモールとみおか」も多くの人で賑わっていました。しかし,目にする人の多くは作業服を着た人たち。地元の人を見かけることはほとんどありません。特に子どもたちの姿は町のどこにもありません。帰還困難区域と接している富岡町には,放射線量の高い地区がまだまだたくさんあり,帰還した人口は事故前の5%前後,子育て世代はほとんど戻っていないのです。巨額の予算が投じられ,様々なインフラが整備されてきてはいますが,真の復興にはほど遠いのが現状です。

バトミントンの桃田賢斗選手の母校,県立富岡高校に行ってみると,校門の脇には彼もメンバーの一人となっていた平成22年度のインターハイ出場を祝う看板が今でもそのままになっていました。富岡第二中学校の体育館は,あの年の3月11日,卒業式の後片付けもできないまま避難所となり,翌12日には原発事故で全町避難が指示されたため,今でも卒業式当時のままとなっています。この町では7年半前のあの時から,時計の針は止まったままなのです。

〔lawyer’ blog〕✍ 師走となりました

早いもので今年も残すところ3週間余りとなりました。事務所を開設したのが2017年1月ですから,まもなく丸2年ということになります。ずっと走り続けて何とかここまで来た感じがします。

10月以降,担当している案件で証拠調べの手続が相次ぎました。尋問を成功させるには,事案の内容,お互いの主張,法律上の争点などを頭の中にきちんと整理して入れておくことが最低限必要になります。証人が予想外の証言をし始めたりすることもあるので臨機応変の対応も求められます。弁護士にとってはかなり負担になる作業です。

土曜日の昨日,この少々疲れた頭と体をリフレッシュさせようと,サンドウィッチと紅茶を入れた水筒を持って散策に出かけてきました。こちらの風景,まるでカナダか北海道といった感じですが,実は都内葛飾区にある水元公園です。JR金町駅から徒歩10数分。スカイツリーもすぐ近くに見えるようなところにこれだけの公園があるとは最近まで知りませんでした。ポプラ並木の黄色の葉はもう散ってしまっていましたが,名物のメタセコイアの赤はまだ十分に楽しめました。今年は記録的な暖冬なので,もしかすると年末まで大丈夫かも。おすすめです。

さぁ,気分を新たにしたところで,年末までもうひと頑張りしようと思います!

 

〔lawyer’ blog〕✍ 江戸一(えどいち)

小春日和の平日,交渉案件の打ち合わせをするため,依頼者のご自宅を訪問しました。東京と埼玉とが入り組んでいる地域で,車で移動していくと地名がどんどん変わっていきます。住宅が密集しているのですが,その中を小川が流れ,水車もあったりして,ちょっと不思議な場所でした。

依頼者のお宅の庭には柿の木が数本植わっていました。どの木の枝にも柿がたわわに実っているのですが,その形は木ごとにちょっと違っています。依頼者の叔母にあたる方がお好きだったそうで,すべて違う種類の柿の木が4本植えられていました。平たい次郎柿は私も知っていたのですが,縦に少し細長い実の方はわかりません。『江戸一』(えどいち)という百匁柿の枝変りの柿なのだそうです。細長い柿は渋柿という先入観があり,「甘いのですか。」と思わず口にしてしまったところ,「ええ,甘いですよ。持って行ってください。」と枝からたくさんの江戸一を捥いでくれ,袋に詰めて渡されてしまいました。その日は午後から東京地裁で証拠調べ(証人尋問)の期日が入っていて,大量の柿の実を法廷に持ち込むというわけにもいかず,いったん日比谷駅のコインロッカーに預けることに。スーツ姿で大量の柿の実をコインロッカーに押し込もうとする姿は少し怪しかったかも(笑)。

無事に証拠調べを終え。ロッカーから取り出した江戸一を家にしっかり持ち帰って,早速,食べてみました。富有柿などと比べると水分が少なくて,ちょっとモサっとした食感はするのですが,素朴で十分な甘さがありました。ごちそうさまでした。

〔lawyer’ blog〕✍ 珈琲が美味しい季節

ここのところ,朝夕はかなり冷え込むようになりました。陽射しがある日中は半袖でも大丈夫なくらいまで気温が上がるものですから,どうしても体調管理が難しくなります。“病は気から”と言いますが,私はまさにそのタイプ。風邪がはやってますよと聞いただけで,何となく寒気がしてきたように感じてしまう…(笑) 先週はずっと鼻風邪気味で往生しました。

羽織るものが欲しくなってくるこの季節になると温かいコーヒーが飲みたくなります。コーヒー好きという訳ではないのですが,それでも,この季節になると1日に2杯は飲むでしょうか。大宮の交通事故紛争処理センターで仕事がある時には,素敵なご夫婦がやられているこちらの喫茶店に立ち寄るようにしています。自家焙煎した豆で淹れたコーヒーの香りが素晴らしく,また,味のほうも流行りのサードウェーブ系のお店とはちょっと違ってしっかり目。とても気に入っています。

もう一軒,最近,事務所から川口簡易裁判所の方に少し寄った住宅街の中に焙煎工場を見つけました。外観は何かの事務所みたいなのですが,中に入ってみると数十種類の豆が売られていてびっくりしました。こちらのお店,70年近く前に麻布で創業し,昭和47年に川口に移ってきたのだそうです。ドリップバック入りのコーヒーもかなり種類がありますし,1杯用のドリップバックも売っているので,飲んだことのない豆を少量挽いてもらって持ち帰るのもなかなか楽しいです。

〔lawyer’ blog〕✍ 海馬の活性化

もともと人の顔や名前を覚えるのは得意ではないのですが,最近,とみに名前が出てこなくてアタフタすることが増えたような気がします。先日も東京家庭裁判所の食堂でランチを食べていた時,10数年前,当時所属していた事務所で司法修習をしていたW弁護士と出くわしたのですが,“✕✕先生の指導を受けていた司法修習生”ということまでは思い出せても,名前がなかなか浮かんできません。名前を思い出そうと頭の中をフル回転させながら,当たり障りのない話で繋いでいたところ,様子を察知したのか彼の方から「Wですよ。」と名乗られてしまいました。

テレビを見ていても,俳優,タレントの名前がなかなか出てきません。顔を見てすぐに出てこないともうダメです。“あのドラマで「〇〇役」で出演していたなぁ”とか,“何年か前に✕✕と一緒にいるところを週刊誌にスクープされたよな”などというエピソードは浮かんでくるのですが,そこから名前に繋げることができないのです。某消費者金融業者のCMに出ているちょっと珍しい苗字の女優のNさんなどは,CMを見た後で必死になってようやく名前を思い出したのに,その翌日,同じCMを見ていてまた出てこなくなり,“昨日,どうやって思い出したんだっけ”となる有り様。

妻は“海馬を活性化しないとね!”と面白がり,テレビでCMが流れると「はい,この俳優は誰?」「その隣の女優は?」と畳みかけてきます。何人もタレントが登場するCMだともう悶絶寸前。ますます民放が嫌いになりそうです。

〔lawyer’ blog〕✍ スマートスピーカー 

先週末,スマートスピーカーが届きました。サイクリスト事務員君と二人,狭い事務所にこもりきりになって仕事をしていると,どんどん空気が澱んでいくような気がするので(笑),少し雰囲気を変えてみようと買い求めました。ところがセッティングがなかなかうまく行きません。“Alexa,あしたの天気は?”“Alexa,今,何時?”と声をかけてみても,ビー,ボ-という機械音が鳴るだけ。期待していた答えは返ってきません。ということで,今のところ,「PC・携帯とただつながっているだけのスピーカー」になってしまっていて,AI体験はお預けとなっています。

そんな状態のスマートスピーカーですが,音質の方はなかなかのもの。特に低音がよく鳴ってくれます。楽曲を入れた外部機器をこのスマートスピーカーにつないで音を出すということもできるのですが,せっかくwifiでネットにつないだので,こちらも初めての体験,音楽配信サービスを利用してみることにしました。いや,凄いですね。無料でもかなりの楽曲数が配信されていますし,プレイリストもとても充実している。おまけに,楽曲の検索が非常にスピーディーにできるので,どんどんダウンロードして自分の好みのプレイリストもごく短時間で作れてしまいます(どんどん課金もされますが…)。

あれこれと懐かしい曲を検索しているうちに見つけたのが,「Venceremos(We Will Win)」というワーキング・ウィークの曲。この曲にはいくつかのヴァージョンがあるのですが,ロバート・ワイアット,クラウディア・フィゲロア,そして,Everything But the Girlのトレーシー・ソーンが参加しているJazz Dance Special Versionが検索してヒットしたので,早速,ダウンロードして聴いてみました。80年代半ば,イギリスのクラブシーンから生まれたアシッド・ジャズの最初の楽曲とも言われるこの曲。トレーシーのヴォーカルが本当に心地よい…。

昨日は9.11。17年前,ニューヨークであの忌まわしい同時多発テロが起きた日ですが,南米では,今でも1973年9月11日,チリで起きた軍事クーデター,アジェンデ政権が倒れた日をいうのだそうです。このクーデターの最中,一人のフォルクローレの歌手,ヴィクトル・ハラが虐殺されました。人民連合のキャンペーン・ソング「Venceremos」の作曲者です。自分と同じように軍に連行された活動家・市民を励まそうとこの曲を歌い,ギターを取り上げられても歌い続けたため,リンチのうえ射殺されたという彼の最期については,脚色された部分もあるようですが,彼の名前は多くの人の記憶に今も残り,「Venceremos」も歌い継がれています。そう,お気づきのようにワーキング・ウィークの「Venceremos(We Will Win)」は,実は,このハラに捧げられた曲でもあるのです。

〔lawyer’ blog〕✍ 「ゲッペルスと私」と白バラ

の夏休み,“積ん読”になってしまっていた何冊かの本を手にしました。その中の1冊がこの「ゲッペルスと私」。ナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスの秘書だったブルンヒルデ・ポムゼルが,ドイツの敗戦から69年後,103歳の時に受けたインタビューをまとめたものです。このインタビューの映像にアーカイヴ映像をインサートして作られた同名の映画も公開されていて,本当は映画を見てから読もうと思っていたのですが,岩波ホールでの映画の上映は8月3日で終わってしまい,しばらく近場での上映予定もないようなので,先に本を読むことにしました。

政治には無関心だったポムゼルが宣伝省で働くことにしたのは,仕事のため,他人より少しでも多くの収入を得るため。彼女にはナチス政権に加担したことについての罪の意識はありません。「私には,何も罪はない。かけらも罪はない。だって,なんの罪があるというの? いいえ,私は自分に罪があるとは思わないわ。あの政権の実現に加担したという意味で,すべてのドイツ国民に咎があるというのなら話は別よ。そういう意味では,私も含めみなに罪があった」。本の帯には,彼女のこの発言は「ハンナ・アーレントのいう“悪の凡庸さ”を想起させる」とあります。確かにその通りとは思うのですが,それではあの時代に自分が生きたとして何ができたのか,ポムゼルとどれだけ違う生き方ができたのか…。「ナチスに対抗して当時何かできることがあったのではないかと,現代の人が考えるのは当然かもしれない。でも,それは不可能だった。命がけでなければ,そんなことはできなかった。最悪の結果を覚悟していなければならなかった。」と弁解し,白バラの中心メンバーだったショル兄妹らについて「何もしなければよかったのに」,「黙っていれば死なずに済んだのに」と語るポムゼルを正面から批判する気には私はとてもなれません。

ポムゼルのインタビューを読んで,久しぶりに白バラ抵抗運動に考えをめぐらせました。2005年公開の「白バラの祈り ~ゾフィー・ショル最期の日々~」を見た時,ゲシュタポに捕まったゾフィーらが,捜査官による取り調べにも,人民法廷でのフライスラーからの尋問にも毅然と応じる姿に胸が熱くなったのですが,一方で,ポムゼルが漏らしたのと同じ言葉が頭に浮かんだっけ…。善く生きるということはどういうことなのか,「ゲッペルスと私」を読んで改めて考えさせられました。