幸町たより 弁護士ブログ
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〔lawyer’ blog〕✍ 秋の味覚

秋の味覚,色々とありますが,私が毎年楽しみにしているのが「恵那寿や」さんの“栗きんとん”。蒸した栗をつぶしてお砂糖を足し,茶巾で絞って元の栗の形に整え,もう一度炊きあげた素朴なお菓子で,似たものはよく目にするのですが,私にとってはこの恵那寿やさんのものが別格。つぶれずにほんの少し残った栗の実の舌触り,もとの栗の甘さを大切にしつつ,でもほんの少しだけ甘さを足した加減,口に含むととても幸せな気持ちになります。

この時期のスイーツは,恵那寿やさんの栗きんとんで決まり,と思っていたのですが,最近,ライバルを発見しました。「中田屋」さんの“金とき”です。中田屋は金沢の有名な和菓子屋さんで,都内のいくつかのデパートにもお店があるので,ここの小豆の“きんつば”は食べたことがあるという人も多いかと思います。この“金とき”は,金沢の伝統野菜のひとつ,五郎島金時を使ってつくられたきんつばです。甘みが強く,繊維質が少ないのが五郎島金時の特徴なのだそうですが,びっくりするおいしさでした。日本橋三越の地方の物産品のコーナーに置かれていたのを妻がたまたま見つけて買ってきたのですが,忘れられない味になりました。お店には置いていなくて,物産展でしか売られていない商品のようなので,もし,そうした催し物をみかけたらぜひ探してみてください。(の)

〔lawyer’ blog〕✍ “サラメシ” その2

とんかつ定食
9.11から16年。今朝は,あの時から世界はずいぶんと変わってしまったなぁなどと少々感傷的になりながら一週間をスタートしたのですが,お昼時になってみると,いつもどおりにしっかりお腹が減っていました(笑)。ということで,久しぶりの“サラメシ”。夏休み前にみつけた洋食屋さんで日替わり定食をいただきました。今日は「とんかつ」です! 写真には写っていませんが,お豆腐とワカメの味噌汁もついています。とてもおいしかったし,お代もこれで760円ですから大満足です。こちらのお店は事務所から歩くと15分ほどかかってしまう場所なので,お昼の前後に車で外出する用事がある時に立ち寄ることにしています。

「Dr.コトー診療所」
こちらのお店を目指す目的は,食事のほかにもう1つ。「Dr.コトー診療所」の漫画が全巻置いてあるんです。離島の診療所で活躍する青年医師を描いた山田貴敏氏のこの漫画,私は「ビッグコミックオリジナル」に掲載されていた期間だけしか読んでいません。それ以前,2008年に休刊となった「週刊ヤングサンデー」時代のものは読んだことがなかったので,こちらのお店で料理が出てくるまでの間,読むことを楽しみにしています。といっても,料理がすぐに出てきてしまうので(食事をしに行っているのに変な文句ですが),なかなか読み進めることができません。今日,5度目の来訪で,やっと第2巻を読み終えました。あと何回ランチを食べると読み終えることができるのか… この漫画,ラスト・シーンが思い出せなかったのでちょっと調べてみたところ,作者の山田氏が病気で体調を崩し,2010年秋から休載中なのだそうです。今出ている25巻を読み終えるころ,お元気になられて連載が再開されているとよいのですが。(の)
〔lawyer’ blog〕✍ “ひよっこ”と音楽
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9月になりました。朝ドラ「ひよっこ」もあと1ヶ月で終わってしまうのですね。4月に番組がスタートした時は,茨城の田舎にこんなにきれいな農家の嫁が二人もいるわけないよなどと毒づきながら見ていたのですが(茨城の農家の皆さん,すいません),いつの間にかどんどんハマってしまいました。上野駅,東京タワー,東京オリンピック,ビートルズ,植木等,グループサウンズ,ミニスカート‥。1960年代,元気だった“昭和”を思い出させてくれます。「ちゅらさん」「おひさま」もそうでしたが,岡田惠和さんが書く脚本にはあまり悪人が出てきません。みんなで励ましあって,前を向いて生きていくというストーリーは朝にぴったりです。

さよならを教えて/1967年
「ひよっこ」でもう一つ楽しみなのは音楽です。担当の宮川彬良(あきら)さんは,「シャボン玉ホリデー」でお馴染みの作曲家宮川泰さんのご子息です。あの時代を感じさせるメロディーを次々と忍ばせてきます。ほのぼのとした“家族のテーマ”,テナーサックスがむせび泣く“由香のテーマ(?)”などどれも素敵ですが,最近だと三男が働く米屋の一人娘安部米子(いや,“さおり”でしたね)が登場するシーンで流れる“君が好きーっ!”にはくすぐられました。曲調がフランソワーズ・アルディの「さよならを教えて」を自然と連想させるのです。彼女の音楽は高校生のころよく聴きました。1979年にTBSで放送された山田太一脚本のドラマ「沿線地図」で,彼女のMa jeunesse fout l’camp(邦題・もう森へなんかいかない)が使われたのを覚えている方も多いかと思います。
“さおりのテーマ(?)”にくすぐられたもう1つの理由は,“君が好きーっ!”と歌っているのが太田裕美さんだということ。先日,NHK-BSの「名盤ドキュメント」で彼女の「心が風邪をひいた日」を取り上げていましたが,彼女の鼻にかかった歌声,本当に不思議な魅力を持っています。甘くて,軽やかで,少しせつなく,‥そして,ほのかに“昭和”なんですね。
「ひよっこ」,あと1ヶ月,どんな展開が待ち受けているのやら,音楽も含めて楽しみです。(の)

心が風邪をひいた日
〔lawyer’ blog〕✍ 都電早稲田駅から椿山荘へ
サイクリスト事務員君が筑波サーキットで奮闘した夏休みのとある一日,私はというと目白の椿山荘に優雅な(?)食事にでかけました。待ち合わせの時間まで少し余裕があったので,都電荒川線の早稲田駅から歩いていくことに。
駅から北に向かって少し行くと神田川に出ます。川の両岸には桜の木が植えられていて,春には花見にうってつけの場所です。橋を渡って川沿いを右に折れて進むと左手に「肥後細川庭園」の土塀が現れます。この庭園,少し前までは「新江戸川公園」と呼ばれていました。学生の時には,公園の中にある“松聲閣(しょうせいかく)”という建物の和室の部屋を借りて,司法試験を目指す仲間と自主ゼミをしていました。こんな都会の貴重な緑の中で勉強していたなんて,今から考えるととても贅沢でしたね。もう30年以上も前のことになります。

川沿いの道をそのまま進み,細川庭園の塀が切れたところで左に曲がると,“胸突き坂”と呼ばれる急で細い坂のふもとに出ます。坂の上り口の右手には,松尾芭蕉が二度目の江戸入りをした時に住居にしたという「関口芭蕉庵」があります。食事を前にしてあまり汗をかきたくないので,途中で何度か呼吸を整えながらゆっくり坂を登っていきます。

胸突き坂
坂を登り終えると,まず,左手に「永青文庫」の門が見えてきます(門が新しくなりましたね)。細川家伝来の美術品,歴史資料を収蔵する小さな美術館です。

永青文庫
永青文庫の前を通り過ぎると,今度は「和敬塾」の建物が見えてきます。こちらは,昭和30年に設立された男子学生向けの学生寮です。7000坪という広大な敷地に6つの寮があり,400人の学生(男ばかり‥)が共同生活を送っています。本館は旧細川侯爵邸で,今でも講演会などに使われているとのこと。一度見てみたいなぁとここを通るたびに思うのですが,一般公開は不定期なのでなかなか機会がありません。

和敬塾・東門から
この「和敬塾」,作家の村上春樹が早大1年の半年をここの寮で過ごしたことがあり,また,彼の小説「ノルウェイの森」の舞台として登場することでもハルキストの間では知られています。もう一つ,今回の散歩前に調べてみると,この和敬塾を創設した前川喜作(前川製作所の創業者)は,加計学園の問題で時の政権と対峙して注目されている前川喜平元文科相事務次官の祖父なのだそうです。そういう出自を持つ人が今回のような行動に出るということはどういうことなのか,なんてことをつらつら考えながら歩いているうちに目的地・椿山荘に到着しました。
私も出身大学は早稲田。学生時代に想いを馳せながらの散歩,楽しかったのですが,シャツは汗でびっしょり。もし皆さんが夏にこのコースを歩くのなら,椿山荘からスタートして坂を下りていく逆コースをお勧めします!(の)
〔lawyer’ blog〕✍ レンコン畑と「暗い時代の人々」

先週土曜日,「スーパーひたち」に乗って福島のいわきまで行ってきました。途中,土浦のあたりだったでしょうか,一面にレンコン畑が拡がっていて,よく目を凝らしてみると,緑の葉の間に隠れて白いハスの花がたくさん咲いていました。ハスの花,この時期に咲くのですね。
上野からいわきまでは特急でも2時間半近く。往復する間に本を1冊読み終えました。森まゆみさんの「暗い時代の人々」です。まえがきには「近年,アメリカに追随する政策や再軍備化,憲法改正と集団的自衛権の行使に向けた下準備が次々と推し進められていることに対しては,率直に怖い,という感情を持っている。そんな時代だからこそ,わたしは,大正から戦前・戦中にかけて,暗い谷間の時期を時代に流されず,小さな灯火を点した人々のことを考えていきたい」とあり,斎藤隆夫,山川菊栄,山本宣治,竹久夢二,古在由重など9人の人物の生きざまが描かれています。人物評伝というほどのボリュームはないけれど,彼らがあの暗い時代をいかに良く生きようとしたかは十分に伝わってきました。なかでも文化新聞「土曜日」を作った大部屋俳優斎藤雷太郎のことは,これまでまったく知らなかったこともあって,面白く読ませてもらいました。京都のフランソア,行かなければ。
安倍政権のもとで進められてきた諸政策によって「大阪城の外堀どころか,内堀も埋められ始めているような気がする」と森さんは言います(私も同感です)。そして,森さんは,あとがきで,マルティン・ニーメラーの詩を紹介しています。
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき,私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき,私は声をあげなかった
私は社会民主主義者ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき,私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして,彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は,誰一人残っていなかった

