事案の概要
Xは,北九州市にある食品会社(Y社)で昭和48年から正社員として勤務していましたが,平成27年3月に満60歳となり,同月末日に定年となりました。Xは,定年後もフルタイムの勤務を希望していましたが,Y社から示された再雇用契約の条件は,勤務日は週3日,1日の勤務時間は実働6時間,賃金は時間給で900円というものでした(本件提案。※ 提示された条件の細かな部分はここでは省略します)。
Xは,Y社から示された本件提案を承諾せず,定年後も定年前賃金の8割相当額を賃金とする合意が黙示的に成立していると主張して,定年退職日以降もY社の従業員としての地位があることの確認と定年前賃金の8割相当額の支払いを求め,さらに,予備的に,Y社が再雇用契約へ向けた条件提示を行うに際し,賃金が著しく低廉で不合理な労働条件の提示しか行わなかったことはXの再雇用の機会を侵害する不法行為を構成するとして,慰謝料等の支払いを求めました。
1審の福岡地方裁判所小倉支部は,Xは平成27年3月31日をもってY社を定年退職して再雇用に至らなかったに過ぎないとして,従業員としての地位の確認と定年前賃金の8割相当額の支払いを求めるXの請求をしりぞけ,また,Y社の定年後再雇用に向けた提案は不合理なものとまでは認め難いとして不法行為の成立も認めませんでした。
この判決をXが不服として控訴を申し立てたというのが今回の事案です。
裁判所の判断
〇 Y社との間で定年後再雇用について労働契約が成立しているとのXの主張について
XとY社の交渉においてフルタイムかパートタイムかや賃金などの労働条件について合意に至っていないこと,就業規則では定年後再雇用の給与は,能力,技能,作業内容,学識・経験等を勘案して各人ごとに決定すると規定するにとどまっていて,就業規則等によってXの労働条件が自ずから定まることはないことなどから,XとY社との間で定年後再雇用に関する労働契約関係の成立を認めることはできない。
〇 本件提案が労働契約法20条に反するとのXの主張について
労働契約法20条は,有期労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件について規定するもので,Xは,定年退職後,Y社と再雇用契約を締結したわけではないから,本件において少なくとも直接的には同条を適用することはできない。
仮に,有期労働契約の“申込み”についても同条が適用されるとしても,Y社の就業規則には賃金表は存在せず,パートタイム従業員もそれ以外の従業員も主たる賃金は能力・作業内容等を勘案して各人ごとに定めるものとされていて,パートタイム従業員とそれ以外の従業員との間で“契約期間の定めの有無”によって構造的に賃金に相違が生ずる賃金体系とはなっていないから,定年前の賃金と本件提案における賃金の格差が労働契約に「期間の定めがあることにより」生じたとは直ちには言えず,本件提案が労働契約法20条に違反するとは認められない。
〇 Y社が再雇用の条件として本件提案しか行わなかったことが不法行為となり得るか
高年法9条1項に基づく高年齢者雇用確保措置を講じる義務は,その趣旨・内容から,労働契約法制に係る公序の一内容を為しているというべきであるから,この法律の趣旨に反する事業主の行為は,上記措置の合理的運用により65歳までの安定的雇用を享受できるという労働者の法的保護に値する利益を侵害する不法行為となり得る。
雇用確保措置のうち継続雇用制度についても,定年の前後における労働条件の継続性・連続性が一定程度,確保されることが前提ないし原則となると解するのが相当であり,例外的に,定年退職前のものとの継続性・連続性に欠ける労働条件の提示が継続雇用制度の下で許容されるためには,同提示を正当化する合理的な理由が存することが必要である
〇 本件でY社の不法行為が成立するか
本件において月収ベースの賃金の約75パーセント減少につながるような短時間労働者への転換を正当化する合理的な理由があるとは認められず,Y社が本件提案をしてそれに終始したことは,継続雇用制度の導入の趣旨に反し,裁量権を逸脱又は濫用したものとして違法である
福岡高裁は,以上の判断を示して,Y社に対し,100万円の慰謝料の支払いを命じました。
解説
◇ 高年齢者雇用安定法が定める高年齢者雇用確保措置
「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」(以下,高年法と言います。)では,定年年齢を65歳未満に定めている事業主に対して,従業員の雇用を65歳まで確保する措置を講じることを求めています(高年齢者雇用確保措置。第9条)。
高年法の高年齢者雇用確保措置は,厚生年金の受給開始年齢が段階的に引き上げられ,男性の厚生年金・定額部分について2013年度から原則65歳とされたことに合わせて,2004(平成16)年の高年法改正時に,それまでの努力義務から法的義務とされ,内容としても,①定年年齢を65歳まで引き上げる,②65歳までの継続雇用制度を導入する,③定年制自体を廃止するの3つの選択肢からいずれかを選ぶ必要があると具体化されました。
また,高年齢者雇用確保措置のうち②の継続雇用制度については,平成25年3月までは労使協定で継続雇用制度の対象者を限定する基準を定めることが認められていましたが,平成24年の法改正により,平成25年4月以降は継続雇用の対象者を限定することができなくなり,希望者全員を継続雇用の対象としなければならなくなっています(*)。
* 平成25年3月迄に労使協定により継続雇用制度の対象者を限定する基準を定めていた事業主については,経過措置として,老齢厚生年金の報酬比例部分が支給されている労働者については,労使協定で定める基準により対象者を選定する制度を維持することが認められています(下図を参照)。
◇ 高年齢者雇用確保措置の導入状況
厚生労働省の平成28年「高年齢者の雇用状況」調査によれば,定年制を廃止するか(③)あるいは65歳以上の定年制とした企業(①)の割合は合計で18.7%にとどまっていて,3つある高年齢者雇用確保措置のうち,②の継続雇用制度を導入している企業の割合が大きくなっています。
また,継続雇用制度には,A)定年年齢に達した従業員をそのまま退職させずに雇用し続ける「勤務延長制度」と,B)定年年齢に達した従業員をいったん退職させた後,再び雇用する「定年後再雇用制度」の2つのタイプがありますが,後者の定年後再雇用制度を導入する企業が圧倒的に多くなっています。企業にとっては,再雇用制度を導入する方が,定年前の労働条件をいったんリセットして新たに労働条件を結び直すことができる,特に賃金を減額することができるという点でメリットがあると受けとめられているのだと思われます。
◇ 定年後再雇用の仕事内容と賃金
定年後再雇用制度を導入している企業では,定年後再雇用する従業員の仕事内容,賃金をどの様に設定しているのでしょうか。
独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)が平成24年改正法が施行された直後の平成25年7月から8月にかけて行った調査では,継続雇用者の仕事内容についての回答で最も多かったのは「定年到達時点と同じ仕事内容」で83.8%,年間給与については,定年到達時の水準を100とした場合,回答全体の平均値は68.3であったとされています(JILPT 改正高年齢者雇用安定法の施行に企業はどう対応したか-「高年齢社員や有期契約社員の法改正後の活用状況に関する調査」結果)。
つまり,定年の前後で仕事の内容は変えないが,賃金は約3割引き下げる,ということが一般的に行われている,ということになります。
◇ 本判決の意義
本件におけるY社の対応は,定年の前後においてXの賃金を年収ベースで約75%も切り下げ,また,Xがフルタイム勤務を希望しているにもかかわらず,週3日の短時間勤務しか提案しなかったというかなり“乱暴”なものでしたから,そうしたやや極端な事例についての判断であるということは念頭に置いておかなければなりませんが,定年後再雇用の賃金は大幅に引き下げられてもやむなしとする傾向がある中,福岡高裁判決は,そこに歯止めをかけた点で重要な意義があると言えます。特に,継続雇用制度について定年の前後における労働条件の継続性・連続性が一定程度確保されることを要求している点は注目されます。
この福岡高裁の判決については,X,Y社の双方が最高裁に上告を申し立てていましたが,今年3月,最高裁は上告を棄却する決定を下しました。判決が確定したことにより,定年後再雇用の労働者の賃金・労働条件を無限定に引き下げている企業や業界では,契約内容の見直しを含む対応が必要になると考えられます。
コメント
本件でXは,Y社から示された再雇用の労働条件を最後まで受け入れなかったため,Y社との間で再雇用契約(有期契約)が結ばれることはありませんでした(Xは,黙示的な再雇用契約の成立を主張しましたが,裁判ではこの主張は認められませんでした)。このため,本件においては,平成25年の改正労働契約法で新たに導入された,同一の使用者と労働契約を締結している有期契約労働者と無期契約労働者との間で,期間の定めがあることによる不合理な労働条件の差別を禁止する同法第20条の規定の適用は直接には問題になりませんでした。
しかし,現在,本事案とは異なり,定年退職後に会社との間で嘱託契約(有期)を結んだが,正社員当時と業務の内容は全く変わっていないのに,賃金が約3割引き下げられてしまったというトラック運転手の事案が最高裁判所で争われており,そこでは労働契約法第20条の解釈適用が正面から問題になっています(長澤運輸事件)。4月20日に最高裁判所で弁論期日が開かれ,来月(6月)1日に判決が言い渡される予定と報じられています。“定年後再雇用においては仕事の内容が同一であっても定年前と比較して賃金を一定程度減額しても構わない”と言えるのか,仕事内容を変えずに賃金を引き下げるという手法が多くの企業で行われている実態が先行しているだけに,労働契約法第20条の均衡考慮原則について最高裁がどのような判断を示すのか,今から非常に注目されています。