幸町たより 弁護士ブログ

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〔lawyer’ blog〕✍ 海馬の活性化

もともと人の顔や名前を覚えるのは得意ではないのですが,最近,とみに名前が出てこなくてアタフタすることが増えたような気がします。先日も東京家庭裁判所の食堂でランチを食べていた時,10数年前,当時所属していた事務所で司法修習をしていたW弁護士と出くわしたのですが,“✕✕先生の指導を受けていた司法修習生”ということまでは思い出せても,名前がなかなか浮かんできません。名前を思い出そうと頭の中をフル回転させながら,当たり障りのない話で繋いでいたところ,様子を察知したのか彼の方から「Wですよ。」と名乗られてしまいました。

テレビを見ていても,俳優,タレントの名前がなかなか出てきません。顔を見てすぐに出てこないともうダメです。“あのドラマで「〇〇役」で出演していたなぁ”とか,“何年か前に✕✕と一緒にいるところを週刊誌にスクープされたよな”などというエピソードは浮かんでくるのですが,そこから名前に繋げることができないのです。某消費者金融業者のCMに出ているちょっと珍しい苗字の女優のNさんなどは,CMを見た後で必死になってようやく名前を思い出したのに,その翌日,同じCMを見ていてまた出てこなくなり,“昨日,どうやって思い出したんだっけ”となる有り様。

妻は“海馬を活性化しないとね!”と面白がり,テレビでCMが流れると「はい,この俳優は誰?」「その隣の女優は?」と畳みかけてきます。何人もタレントが登場するCMだともう悶絶寸前。ますます民放が嫌いになりそうです。

〔lawyer’ blog〕✍ スマートスピーカー 

先週末,スマートスピーカーが届きました。サイクリスト事務員君と二人,狭い事務所にこもりきりになって仕事をしていると,どんどん空気が澱んでいくような気がするので(笑),少し雰囲気を変えてみようと買い求めました。ところがセッティングがなかなかうまく行きません。“Alexa,あしたの天気は?”“Alexa,今,何時?”と声をかけてみても,ビー,ボ-という機械音が鳴るだけ。期待していた答えは返ってきません。ということで,今のところ,「PC・携帯とただつながっているだけのスピーカー」になってしまっていて,AI体験はお預けとなっています。

そんな状態のスマートスピーカーですが,音質の方はなかなかのもの。特に低音がよく鳴ってくれます。楽曲を入れた外部機器をこのスマートスピーカーにつないで音を出すということもできるのですが,せっかくwifiでネットにつないだので,こちらも初めての体験,音楽配信サービスを利用してみることにしました。いや,凄いですね。無料でもかなりの楽曲数が配信されていますし,プレイリストもとても充実している。おまけに,楽曲の検索が非常にスピーディーにできるので,どんどんダウンロードして自分の好みのプレイリストもごく短時間で作れてしまいます(どんどん課金もされますが…)。

あれこれと懐かしい曲を検索しているうちに見つけたのが,「Venceremos(We Will Win)」というワーキング・ウィークの曲。この曲にはいくつかのヴァージョンがあるのですが,ロバート・ワイアット,クラウディア・フィゲロア,そして,Everything But the Girlのトレーシー・ソーンが参加しているJazz Dance Special Versionが検索してヒットしたので,早速,ダウンロードして聴いてみました。80年代半ば,イギリスのクラブシーンから生まれたアシッド・ジャズの最初の楽曲とも言われるこの曲。トレーシーのヴォーカルが本当に心地よい…。

昨日は9.11。17年前,ニューヨークであの忌まわしい同時多発テロが起きた日ですが,南米では,今でも1973年9月11日,チリで起きた軍事クーデター,アジェンデ政権が倒れた日をいうのだそうです。このクーデターの最中,一人のフォルクローレの歌手,ヴィクトル・ハラが虐殺されました。人民連合のキャンペーン・ソング「Venceremos」の作曲者です。自分と同じように軍に連行された活動家・市民を励まそうとこの曲を歌い,ギターを取り上げられても歌い続けたため,リンチのうえ射殺されたという彼の最期については,脚色された部分もあるようですが,彼の名前は多くの人の記憶に今も残り,「Venceremos」も歌い継がれています。そう,お気づきのようにワーキング・ウィークの「Venceremos(We Will Win)」は,実は,このハラに捧げられた曲でもあるのです。

〔lawyer’ blog〕✍ 「ゲッペルスと私」と白バラ

の夏休み,“積ん読”になってしまっていた何冊かの本を手にしました。その中の1冊がこの「ゲッペルスと私」。ナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスの秘書だったブルンヒルデ・ポムゼルが,ドイツの敗戦から69年後,103歳の時に受けたインタビューをまとめたものです。このインタビューの映像にアーカイヴ映像をインサートして作られた同名の映画も公開されていて,本当は映画を見てから読もうと思っていたのですが,岩波ホールでの映画の上映は8月3日で終わってしまい,しばらく近場での上映予定もないようなので,先に本を読むことにしました。

政治には無関心だったポムゼルが宣伝省で働くことにしたのは,仕事のため,他人より少しでも多くの収入を得るため。彼女にはナチス政権に加担したことについての罪の意識はありません。「私には,何も罪はない。かけらも罪はない。だって,なんの罪があるというの? いいえ,私は自分に罪があるとは思わないわ。あの政権の実現に加担したという意味で,すべてのドイツ国民に咎があるというのなら話は別よ。そういう意味では,私も含めみなに罪があった」。本の帯には,彼女のこの発言は「ハンナ・アーレントのいう“悪の凡庸さ”を想起させる」とあります。確かにその通りとは思うのですが,それではあの時代に自分が生きたとして何ができたのか,ポムゼルとどれだけ違う生き方ができたのか…。「ナチスに対抗して当時何かできることがあったのではないかと,現代の人が考えるのは当然かもしれない。でも,それは不可能だった。命がけでなければ,そんなことはできなかった。最悪の結果を覚悟していなければならなかった。」と弁解し,白バラの中心メンバーだったショル兄妹らについて「何もしなければよかったのに」,「黙っていれば死なずに済んだのに」と語るポムゼルを正面から批判する気には私はとてもなれません。

ポムゼルのインタビューを読んで,久しぶりに白バラ抵抗運動に考えをめぐらせました。2005年公開の「白バラの祈り ~ゾフィー・ショル最期の日々~」を見た時,ゲシュタポに捕まったゾフィーらが,捜査官による取り調べにも,人民法廷でのフライスラーからの尋問にも毅然と応じる姿に胸が熱くなったのですが,一方で,ポムゼルが漏らしたのと同じ言葉が頭に浮かんだっけ…。善く生きるということはどういうことなのか,「ゲッペルスと私」を読んで改めて考えさせられました。

 

〔lawyer’ blog〕✍ 軽井沢「南ヶ丘美術館」

ここ数日,クーラーをつけたままにしなくても眠ることができるようになりました。というより,薄い布団をかけていないと風邪をひいてしまいそうなくらいです。6月から続いていた酷暑,酷夏も,どうやら終わりが見えてきたよう。梅雨を飛び越して始まったこの暑さ,何時まで続くのだろうと思っていたのですが,何事にもちゃんと終わりは来るものなのですね。

終わりといえば,事務所の夏休みも今日でお仕舞いです。まだ利用したことのない北海道新幹線に乗って函館へ,はたまた世界文化遺産に指定された長崎・天草へなどと考えたこともあったのですが,懐の具合もあって,最終的には近場の軽井沢に落ち着きました。旧軽銀座をぷらぷらし,ハルニレテラスでお蕎麦を食べ,ジョン・レノンがお気に入りだったという“離山房”でコーヒーを飲むという,まったく新味のない過ごし方をしてきたのですが,一か所だけ初めて訪ねた場所がありました。「南ヶ丘美術館」です。東山魁夷やワイエス,ビュッフェなどの絵画が展示された美術館ではあるのですが,見応えがあったのは,絵ではなく,「三五荘」という建物。江戸末期,塩山に建てられた豪農の古民家を,日立造船の社長などを務めた大阪の実業家・原田六郎が,1935年に軽井沢の地に移築して別荘としたものです。戦後,GHQの接収を経て,東急の五島慶太氏の手に渡り,長く東急グループ幹部が利用する施設になっていたよう。1984年に隣接地に研修施設等を有していた学校法人中央工学院が買い取り,1991年から一般にも公開されるようになったのだそうです。

三五荘の前に広がる日本庭園のその先には,白洲次郎が理事長を務めたことで知られる超名門ゴルフ・コース,「軽井沢ゴルフ倶楽部」の(たぶん)7番ショート・ホールが見えます。このコースの会員でもあった原田氏は,三五荘を私的なクラブハウスのように使おうとしていたのだとか。なんとも優雅な話です。

軽井沢でゆったりとした時間を過ごし,帰りは伊香保方面に足を延ばして水沢うどんでお腹を満たし,すっかりリフレッシュできました。明日からの仕事,フルスロットルでいけそうです。

 

〔lawyer’ blog〕✍ 記憶に残る7月

連日の猛暑,酷暑で体の中に確実にダメージが蓄積していっているような気がします。西日本の豪雨災害もそうですが,少し前までではちょっと考えられないような異常な気象現象が続いた7月でした。

このたぶんずっと記憶に残るであろう7月にあった出来事の中で一番心がざわついたのは,オウム事件関連の死刑囚13名に対する刑の執行のニュースでした。今年の3月,東京拘置所に収容されていたオウム関連の死刑囚のうち7名の身柄が,大阪・名古屋などの拘置所に移されたという報道があり,刑の執行の時期が迫っていることは予想はしていました。それでも,こんなに早く,しかも6日の麻原彰晃ら7名に続いて,26日に残りの6名についても立て続けに刑が執行されるということは想像していませんでした。一部の報道にあるように,「平成」が終わる前に,東京オリンピックが近くなる前に,区切りをつけてしまいたい,そんな思惑が政府に本当にあったのか…。死刑の存置についての意見は様々かと思いますが(私は反対です。),今回の執行については違和感を感じた方も少なくなかったのではないかと思います。

死刑が執行された13名の多くが50歳代。ちょうど私と同世代です。H元死刑囚は高校の一年後輩。面識はまったくありませんが,彼を知る同級生から,非常に真面目で優秀な奴だったと聞いたことがあります。比較的裕福な家庭で育った学生が多いなかで,アルバイトで学費を稼ぐ苦学生だったようです。大学・大学院での指導担当教授に「博士課程に進んでいたらノーベル賞級の学者になった」とコメントさせるような優秀な人物が,あのようなテロ行為に加担してしまったのはなぜなのか。宗教的教義を使ったマインド・コントロールの脅威は,オウム以降,アルカイダやイスラム国らによるテロにも共通するところがあるように思います。

今日,オウム関連事件の刑事裁判記録を法務大臣が永久保存する指定をしたという報道がありました。しかし,オウム事件については,その捜査過程や裁判手続自体にも色々と問題がありました。記録保存は当然のことですが,刑の執行の前に,できたこと,しておくべきことはほかにも色々あったように思えてなりません。

 

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