幸町たより 弁護士ブログ

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〔lawyer’ blog〕✍ Blow away

師走に入ってから仕事に追われ,気がついたら大晦日になっていました。事務所の大掃除,仕事納め,そして忘年会は,26日に何とか済ませたのですが,その翌日,翌々日が被疑者段階の国選弁護事件の待機日となっていて,実際に事件の配点があったため,慌ただしい年末・年越しになりました。

大きな自然災害が相次いだこの1年でしたが(私も間接的ではありますが“被災”を経験しました。),スポーツから元気をもらったように思います。昨年の全米オープンに続いて1月に全豪オープンを制した大坂なおみ,NBAで日本人で初めてドラフト1巡目指名をされた八村塁,W杯で初のベスト8進出を果たしたラグビーの日本代表。なかでも,7月の全英オープンで樋口久子さん以来,42年振りの日本人メジャー制覇を果たした“スマイリング・シンデレラ”こと渋野日向子プロの活躍には驚かされました。見ていて気持ちのいい,歯切れのよいプレー振りに魅了されたのはもちろんですが,「しぶこ節」と言われるコメント力にも感心。年末に行われたトークショーでは,大活躍した「19年の自分とはオサラバして,前に進み続けないと」と話したようですが,前だけを見据えるこの姿勢,カッコいいですね!

四捨五入すると60(しなければよいのですが…)という年齢になり,ポジティブになれないことが増えたような気もするのですが,そんな時に聞くとホッとするというか,励まされるのが,静かなるビートル,ジョージ・ハリソンの“Blow away”という曲。ビートルズ解散後の70年代前半から半ばにかけて,ジョージは,パディ・ボイドとの離婚,“My sweet Lord”の盗作騒動,自身の健康問題などで創作活動は必ずしもうまくいっていませんでした。しかし,78年にオリヴィア・トリニアード・アリアスと再婚,一人息子のダニーも生まれ,私生活が充実していた時期に,『慈愛の輝き(邦題)-George Harrison』(79)というアルバムを完成させます。“Blow away”のほかにも,“Love comes to everyone”,“If you believe”など気持ちを明るくさせてくれる曲が入っている私の愛聴盤です。

Wind blew in, cloud was dispersed
Rainbows appearing,
the pressures were burst
Breezes a-singing,
now feeling good
The moment had passed
like I knew that it should

All I got to do is to love you
All I got to be is, be happy
All it’s got to take
is some warmth to make it
Blow away, blow away, blow away

どことなく閉塞感が漂うこの時代ですが,来年はそんな雰囲気を吹き飛ばしたいものです。

〔lawyer’ blog〕✍ 台風19号の被害 -福島県本宮市-

仕事で福島県本宮市に行く機会がありました。台風19号の影響による豪雨で,阿武隈川,その支流の安達太良川がともに氾濫して市の中心部が冠水し,7名が亡くなるという甚大な浸水被害があった地域です。私が本宮を訪れたのは浸水被害から1週間後のこと。すでに水は引いていましたが,通りの両側にはガレキや浸水した家の中から運び出された家財が山積みになっていました。消毒のための消石灰が大量に撒かれ,また,氾濫で街に流れ込んだ大量の土砂が乾いて飛散しているため,街の中は霞がかかったよう。マスクをしていないと粉じんを吸い込んでしまいそうでした。本宮駅のすぐ近くにある蔵元「水天狗酒造」でも約50cmの浸水があり,酒米や工場設備が水没してしまったそうです。街の復旧にはまだまだ時間がかかりそうでした。

この地域は昭和61年にも大洪水に見舞われています。堤防の嵩上げ等の対策は行われていたらしいのですが,今回の台風19号による洪水は,61年洪水の規模を遥かに上回るものになったのだとのこと。台風19号による降水量は,河川整備の基準となる“計画降雨”を超えたところもいくつかあったようです。大規模なダムの建設に巨費を投じるより,住宅密集地を流れる河川の築堤,堤防嵩上げといった治水対策にもっと力を入れる必要があると感じた今回の台風19号の被害でした。

〔lawyer’ blog〕✍ ある雇止め事件の解決

10月に入り,遂に消費税が10%にアップしてしまいました。9月の最終週の週末は,ビール,洗剤,ティッシュペーパー,トイレットペーパーなどをまとめ買いし,ガソリンも満タンにしました。事務所でもプリンターのインクやコピー用紙などを大量に購入。へたりのきていたお客様用のスリッパもこの機会に買い替えました。せめてもの“抵抗”と思って汗をかきましたが,計算してみるとたいした節約になっていないことがわかってがっくり(笑)。野党の中では増税が目前という時期になって,急に消費税の廃止,税率の見直しに向けた共闘の動きが出てきましたが,そういった議論は参議院選挙前にもっとしっかりして欲しかった。消費税増税で,経済的弱者の負担は増えて格差も拡がるばかり。与党も巻き込んで議論が深まるとよいなと思うのですが,首相の所信表明演説を聞いていると彼の頭の中は“憲法改正”で一杯のよう。とても期待できそうもありません。

そんなドタバタした月末でしたが,この事務所の開設をはさんで3年半余り取り組んできたある労働事件が解決しました。大手企業の北関東支社で10数年にわたって勤務していた契約社員のWさんが,能力の不足を理由に突然雇止めされたという事件。2013年4月に施行された労働契約法によって,Wさんは会社に無期契約への転換を要求できるはずだったのですが,その直前,無期化するには一定期間内に能力等級3級に昇級する必要があるという新しい人事制度が導入され,昇級の未達成を理由に雇い止めが強行されたため,こうした人事制度の導入は労働契約法18条の規定を潜脱するものではないかということで世間的にも注目を集めた事案でした。この制度で雇止めされた社員は多数いましたが,裁判の原告となったのはWさんただ一人。労働組合での活動経験など全くない普通の女性社員だったWさんでしたが,「女性ユニオン東京」という個人加盟できる労働組合のバックアップも得ながら,立派に3年余に及ぶ裁判を闘い抜きました。

先月末にあった報告集会で,Wさんから「弁護団の皆さんとの打ち合わせがなくなると思うと今となっては淋しい。ぜひ同窓会をお願いしたい。」と言っていただけたのはとても嬉しかった。私にとっても忘れられない事件の一つになりました。

 

〔lawyer’ blog〕✍ 大西鐵之祐監督のこと

NHK-BSスペシャル「50年前 日本ラグビーは世界に迫った~伝説のイングランド戦~」を見ました。大西鐵之祐監督率いる日本代表が,ラグビーの母国イングランド代表を相手に勝利まであと一歩と迫った伝説の試合を関係者へのインタビューを交えて掘り下げるというもの。この試合が行われたのは1971(昭和46)年9月のこと。当時,私はまだ8歳。スポーツ大好き,テレビも大好きの小学生ではありましたが,さすがに生でこの試合を見た記憶はありません。日本代表が好プレーをしたシーンばかりで番組が構成されていたということもあるとは思いますが,それを割り引いても,素晴らしいラグビーをしたものだと少なからず感動を覚えました。

大西鐵之祐監督と言えば,“早稲田ラグビー”の危機を何度も救ってくれた,早稲田にとっては神様のような存在です。1962(昭和37)年には,対抗戦Bブロックに転落していた早稲田を1シーズンでAブロックに復帰させ,しかも,ライバル明治にも勝利しました。日本代表監督を退いた後の1981(昭和56)年には,長期低迷状態にあった早稲田の再建をふたたび託され,本城,吉野らを擁して対抗戦で連戦連勝。全勝同士の対戦となった明治との試合にも勝利して,久しぶりの対抗戦優勝を果たしました。当時,私は早大学院の3年生。大西監督は,1977(昭和52)年に早大学院ラグビー部のヘッドコーチに就任し,母校を花園・初出場に導いていて,81年の大学のチームにも,寺林,安田,野本といった学院時代に大西監督の薫陶を受けた選手たちが名を連ねていたので,後輩としては応援に自然と力が入りました(対抗戦優勝を受けて意気込んで応援に行った大学選手権の準決勝では明治に敗れてしまいましたが…)。

大学1年の時,一度だけ大西監督の講義を受けたことがあります。なぜ法学部生だった私が大西監督の講義を受けることになったのか自分では思い出すことができなかったのですが,同級生に聞いてみると,どうやら大西監督の講義が一般教養・保健体育の科目に含まれていて,抽選にあたった学生だけが講義を聞くことができた,ということのようです。早稲田の復活で湧いたシーズン後のことでしたから,学生で一杯の教室に監督が姿を見せると大きな拍手。「俺は心臓が悪いんだ。俺が倒れたらポケットのニトロを飲ませろよ。」なんてドキッとする発言から講義が始まり,スポーツ論,スポーツとナショナリズムなどについて熱く話をしてくれました。

今回のNHKの番組でひとつ残念だったのは大西監督の肉声が入っていなかったこと。人をぐっと惹きつける話術を持った方と記憶していただけに,生前のインタビューなどを探して番組に組み込んでもらいたかった。

大西監督が鬼籍に入られたのが1995(平成7)年のこと。当時,世界に全く歯が立たなかった日本ラグビーは,この10数年の間に劇的な変化を遂げました。今の日本代表のプレースタイルを大西監督はどう評されるのか。ラグビーのW杯,いよいよ今週金曜日に開幕を迎えます。

〔lawyer’ blog〕✍ 「夏空」と子育て

暦は9月になりました。夏休みの間,事務所の前にある公園の広場はたくさんの子どもたちで賑わっていましたが,それも昨日で終わり。今日から2学期が始まりました。ようやく騒々しさが治まるなとほっとする反面,ちょっと淋しい気もします。

夏の終わりとともに,朝ドラ『夏空』も残すところあと1ヶ月になりました。ここのところ,なつと一久さんとの間に生まれた優ちゃんの愛くるしさに毎日癒やされているのですが,それと同時に,なつらが子どもの預け先を探すのに苦労する姿を見ていて,昭和のあの時代に“共働き”で子育てをすることの大変さに思いを馳せていました。

私も“共働き”の家庭で育てられ,子どもの頃は本当に色々なところに預けられ,色々な人たちに可愛がってもらいました。3歳までは借家から10分少々のところで子どもを預かってくれる一般家庭に預けられました。4歳からは母の勤務先(ろう学校でした。)の近くの幼稚園に入ったのですが,幼稚園は早く終わってしまうので,その後は母の仕事が終わるまで学校の用務員さんの部屋に預けられました。「保育園」には小学校にあがる直前の半年間だけ,0歳の妹と一緒に通いました。乳児保育はまだ珍しい時代でした。小学校にあがってからの最初の2年間は“鍵っ子”の生活でした。団地の上の階で活版印刷の内職をしていたおばさんのところに行き,よくおやつをもらいました。当時,私が住んでいたK市にはまだ学童保育がありませんでした。学童保育を作るよう市と交渉した母から,当時のK市長が「あなたたちはホトトギスか」なんてトンデモ発言をして,それでお母さんたちの運動に一気に火がついたなんてエピソードを聞かされたことがあります。そうやってようやくできた学童保育に3・4年生の時は入りました(が,正直,あまり面白いところではありませんでした)。

そんな時代からもう半世紀。でも,働くママさん(パパも)たちの子育ての環境には相変わらずの部分も多いようです。“保育園落ちた 日本死ね”って,一体,いつの時代の話しだよってことですよね。この国では,現代の働くママさん,パパさんは,なつと一久さんと同様,いつまでも戦わなければならないみたいです。

 

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