〔lawyer’ blog〕✍ 富岡町の現在(いま)

1月ほど前のことになりますが,福島県双葉郡にある富岡町に行ってきました。担当している原発避難者訴訟の原告の皆さんが事故前に暮らしていた町です。弁護団では,裁判所に被災地まで足を運んでもらい,被害の実態を見てもらうことを計画していますが,その準備のための視察でした。

富岡町は,帰還困難区域に指定されている一部を除いて,昨年4月1日に避難指示が解除され,町の中に人が自由に立ち入ることができるようになりました。視察の出発点にしたJR富岡駅は,駅舎も新しくなり,駅前ロータリー,公衆トイレも整備され,近くにはビジネスホテルもオープンしていました。国道6号線はひっきりなしにトラックが行き来し,町の中心部に作られた複合商業施設「さくらモールとみおか」も多くの人で賑わっていました。しかし,目にする人の多くは作業服を着た人たち。地元の人を見かけることはほとんどありません。特に子どもたちの姿は町のどこにもありません。帰還困難区域と接している富岡町には,放射線量の高い地区がまだまだたくさんあり,帰還した人口は事故前の5%前後,子育て世代はほとんど戻っていないのです。巨額の予算が投じられ,様々なインフラが整備されてきてはいますが,真の復興にはほど遠いのが現状です。

バトミントンの桃田賢斗選手の母校,県立富岡高校に行ってみると,校門の脇には彼もメンバーの一人となっていた平成22年度のインターハイ出場を祝う看板が今でもそのままになっていました。富岡第二中学校の体育館は,あの年の3月11日,卒業式の後片付けもできないまま避難所となり,翌12日には原発事故で全町避難が指示されたため,今でも卒業式当時のままとなっています。この町では7年半前のあの時から,時計の針は止まったままなのです。