〔lawyer’ blog〕✍ ショパンコンクール 2020

コロナ禍によって1年延期になっていたショパン国際ピアノコンクール2020が10月2日に開幕しました。ショパンの母国,ポーランドの首都ワルシャワで5年に1度行われるこのコンクール,世界で最も権威のあるピアノ・コンクールとされていますが,コンクールの中継,ウェブ配信には意外にも積極的で,2005年の第15回大会からコンクールの全日程を生で配信してくれています。オープニングのガラコンサート,1次予選(5日間),2次予選(4日間),3次予選(3日間),17日のショパンの命日は1日あけて,ワルシャワフィルとのコンチェルトの演奏となる本選が3日間,そして,結果発表,入賞者による3日間の演奏会と実に3週間も続くコンクールの全ての演奏を生で聴くことができるのですから,ピアノ好き,コンクール好きには堪りません(ただし,時間に余裕があれば,ですが…)。

18回大会には予備予選を通過した87名が出場しています。日本人も13名が一次予選への出場を果たしました。その中には,すでにコンサート・ピアニストとして大活躍している反田恭平さん,12才でデビューアルバムを出し大きな話題になった牛田智大さん,前回17回大会のファイナリストの一人小林愛美さん,名古屋大学医学部在籍という医大生ピアニスト沢田蒼梧さん,東京大学大学院修士課程修了というこちらも異色の経歴を持つ角野隼人さんらが含まれていて本当に多士済々。マスコミもコンクール前から彼らを色々な形で取り上げています。ショパンコンクールが日本でここまで注目されたことはなかったかもしれません。

名前を挙げた5人は全員が一次予選を無事通過しました。小林さんは,順番が来て,拍手に迎えられて着席して,いざ演奏を始めようとした時に,椅子の高さをうまく調節できないというハプニングがあって,ちょっとドキッとしましたが,集中力を切らさずに見事なパフォーマンスを見せてくれました。日本人初の優勝者が生まれるかもという期待もなくはないのですが,先ほど2次予選初日のシモン・ネーリングの演奏を聴いていたら,いや,とても素晴らしかった!(リンクは1次予選の演奏です)。彼も小林さんと同様,前回大会のファイナリストの一人で,しかも聴衆賞をとった実績があります。今のところ,本命は彼のような気が…。今月20日の結果発表が楽しみです。

 

〔lawyer’ blog〕✍ ミシェル・コルボ

同年代と思われる人が書いたブログのネタで目立つのが,“〇〇さんが亡くなった”という話題。10代後半から学生時代,そして20代と人生の中で最も感性が尖がっていた時期に影響を受けた人たちが80代とかそれ以上になっているのですから,毎日のように物故者の記事を目にしてため息をつくのも当たり前なのかもしれません。このひと月余りの間でも,歴史家の色川大吉さん,ローリングストーンズのドラマーのチャーリ-・ワッツ,俳優のジャン=ポール・ベルモンドらが亡くなりました。学生の時,今は再開発で無くなってしまった六本木のシネ・ヴィヴァンでジャン・リュック・ゴダールの「パッション」を観たのがきっかけで,彼の出世作「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」を上映しているミニシアターを探して続けて観て,ベルモンドに(そして,ジーン・セバーグ,アンナ・カリーナに)ハマりました。あれから40年が経とうとしているのか…

でも,一番感傷的になったのは,指揮者のミシェル・コルボが亡くなったという記事でした。ベルモンドやチャーリー・ワッツと比べると,“誰,それ?”という人も多いかと思いますが,クラッシック音楽好き,特にフォーレ好きの人には,“あぁ,そうだね。”と言ってもらえると思います。ローザンヌ声楽アンサンブル,ローザンヌ器楽アンサンブルを率いて,ルネサンス期からバロック期の宗教音楽(声楽曲)の録音を数多く残した名指揮者です。私は,宗教音楽はそれほど聴かないのですが,ガブリエル・フォーレの「レクイエム」だけは別で,中でもコルボがベルン交響楽団を指揮した1972年の録音は高校生の時からお気に入りでした。ピエ・イエズのボーイ・ソプラノの独唱の何とも言えない透明感! 自分の葬式でこのレコードをかけて欲しいという人が多いのも納得です。

大病を克服し,2014年5月,手兵のローザンヌ声楽・器楽アンサンブルを率いて来日し,「ラ・フォル・ジュルネ」音楽祭でフォーレのレクイエムを振った時は,私も東京国際フォーラムの会場で生で演奏を聴きました。正直,1972年盤を聴いた時ほどの鮮烈さは感じなかったのですが,この時の演奏はライブ盤になっていて,こちらもCD棚に並んでいます。これからも,彼のフォーレを聴きたくなることが,きっとまだまだあると思います。合掌。

 

 

〔lawyer’ blog〕✍ NOW ON AIR

好きだったラジオ番組が終わってしまいました。NHK-FMの「ゆうがたパラダイス 水曜日」。昨年10月,パーソナリティーを務めていた「赤い公園」の津野米咲さんが亡くなった後,彼女と所縁のある音楽ジャーナリストの鹿野淳さん,ラジオDJの藤田琢巳さんがバトンを引き継いで交代で放送を続けてくれていたのですが,春の番組改編というタイミングで終了ということになってしまいました。

私が津野さんの水曜「ゆうパラ」を聴くようになったのは一昨年の4月のこと。それまで夕方のこの時間帯には,TBSラジオ(AM)の「荒川強啓 デイ・キャッチ!」を聞いていたのですが,その年の3月で終了してしまい,カーステレオのチャンネルを何となくFMに切り替えてみたところ,津野さんの声が流れてきたのがきっかけでした。それまで,津野さんのことは全く知らなかったのですが,アイドルの曲からクラッシックまでジャンルレスに熱く音楽を語る彼女のトークに惹かれ,水曜の夕方はなんとなくNHK-FMにチャンネルを合わせるようになりました。彼女がギターを担当している「赤い公園」の曲も「ゆうパラ」で初めて聴きました。一番最初に聴いたのは“KOIKI”だったと思いますが,エッジの効いたカッコいい音を鳴らしていて,後でメンバー全員が女性だと知って本当にびっくりしました。

あの悲しい出来事があって,ラジオから流れる津野さんの声を聞くことはできなくなりました。1年余りという短い期間のリスナーの私でさえ気分が沈んでしまうのですから,古くからのリスナーや赤い公園のファンの人たちはしんどいでしょうね。そして,赤い公園の残された3人のメンバーたち,どんな選択をするのだろうと気になっていましたが,最近,解散を決断したことが報じられました。津野さんが作った楽曲を3人で演奏し続けてもらいたいと考えるファンも多いと思いますが,津野さんがいない赤い公園はもはや違うものになってしまうのではないかというメンバーの気持ちも理解できます。さぞかしつらい決断だったろうなと思います。

5月28日に中野サンプラザで行われる解散コンサートは生配信もあるようです。配信でコンサートを聴いた経験は今までないのですが,「赤い公園」のラスト・コンサートは見逃さないようにしなければ…。そして,ゆうパラ・水曜日の最終回に流れた津野さんの宅録音源,津野さん自身が歌う「お家からNOW ON AIR」は録音して永久保存しておこうと思います。

〔lawyer’ blog〕✍ You must believe in Spring

久しぶりのブログ更新になります。この1年余りの間に,コロナ・ウィルスcovid-19によって本当に世界は大きくその姿を変えました。マスクの着用,ポケットには消毒液,“ソーシャル・ディスタンス”が日常となり,食堂では黙って食べ物を口にするだけ。楽しみにしている妻との旅行にも,この1年は行くことができませんでした。仕事のスタイルも変わりました。会議はリモートが主流となり,裁判所の手続にも電話会議が積極的に活用されるようになってきました。私の事務所の場合,弁護士1名,事務員1名がせまい部屋でまさに“密”に仕事をしている状況なので,二人が同時にウィルス感染してしまう最悪の事態だけはなんとか避けようと交代で事務所に出るようにしています。事務所にアクセスいただく皆さんには不便をおかけしていますが,ご理解いただきたいと思います。

コロナウィルスに翻弄された1年余りでしたが,3度目となる感染拡大も2月に入って感染者数が減少傾向となり,ようやく出口が見えてきたようです。桜が咲くころには緊急事態宣言も解除されて,ゆったりお花見を楽しめるとよいのですが… 

ミュージカル映画『ロシュフォールの恋人たち』の劇中歌“Chanson de Maxence”に(作詞は監督のジャック・ドゥミ?,作曲はミシェル・ルグラン),英語のタイトル・歌詞がつけられて,ジャズのスタンダード・ナンバーとなった“You must believe in Spring”。邦題は「春を信じて」でしょうか。色々なシンガーがカバーしていますが,よく知られているのは,ビル・エヴァンスがエディ・ゴメス(b),エリオット・ジグムンド (d)と組んだピアノ・トリオの演奏だと思います。元妻,兄を続けて喪ったエヴァンスがキャリア晩年に遺した録音で,彼が亡くなった翌年,没後追悼盤として発売されたアルバムのタイトルにもなっています。大学に入った年,私が初めて買ったエヴァンスのLPです。

When lonely feelings chill
The meadows of your mind
Just think if Winter comes
Can Spring be far behind
Beneath the deepest snows
The secret of a rose
Is merely that it knows
You must believe in Spring

また春が来ることを信じたい,いや,信じて前に進まなければいけませんね。

 

〔lawyer’ blog〕✍ Blow away

師走に入ってから仕事に追われ,気がついたら大晦日になっていました。事務所の大掃除,仕事納め,そして忘年会は,26日に何とか済ませたのですが,その翌日,翌々日が被疑者段階の国選弁護事件の待機日となっていて,実際に事件の配点があったため,慌ただしい年末・年越しになりました。

大きな自然災害が相次いだこの1年でしたが(私も間接的ではありますが“被災”を経験しました。),スポーツから元気をもらったように思います。昨年の全米オープンに続いて1月に全豪オープンを制した大坂なおみ,NBAで日本人で初めてドラフト1巡目指名をされた八村塁,W杯で初のベスト8進出を果たしたラグビーの日本代表。なかでも,7月の全英オープンで樋口久子さん以来,42年振りの日本人メジャー制覇を果たした“スマイリング・シンデレラ”こと渋野日向子プロの活躍には驚かされました。見ていて気持ちのいい,歯切れのよいプレー振りに魅了されたのはもちろんですが,「しぶこ節」と言われるコメント力にも感心。年末に行われたトークショーでは,大活躍した「19年の自分とはオサラバして,前に進み続けないと」と話したようですが,前だけを見据えるこの姿勢,カッコいいですね!

四捨五入すると60(しなければよいのですが…)という年齢になり,ポジティブになれないことが増えたような気もするのですが,そんな時に聞くとホッとするというか,励まされるのが,静かなるビートル,ジョージ・ハリソンの“Blow away”という曲。ビートルズ解散後の70年代前半から半ばにかけて,ジョージは,パディ・ボイドとの離婚,“My sweet Lord”の盗作騒動,自身の健康問題などで創作活動は必ずしもうまくいっていませんでした。しかし,78年にオリヴィア・トリニアード・アリアスと再婚,一人息子のダニーも生まれ,私生活が充実していた時期に,『慈愛の輝き(邦題)-George Harrison』(79)というアルバムを完成させます。“Blow away”のほかにも,“Love comes to everyone”,“If you believe”など気持ちを明るくさせてくれる曲が入っている私の愛聴盤です。

Wind blew in, cloud was dispersed
Rainbows appearing,
the pressures were burst
Breezes a-singing,
now feeling good
The moment had passed
like I knew that it should

All I got to do is to love you
All I got to be is, be happy
All it’s got to take
is some warmth to make it
Blow away, blow away, blow away

どことなく閉塞感が漂うこの時代ですが,来年はそんな雰囲気を吹き飛ばしたいものです。

〔lawyer’ blog〕✍ 台風19号の被害 -福島県本宮市-

仕事で福島県本宮市に行く機会がありました。台風19号の影響による豪雨で,阿武隈川,その支流の安達太良川がともに氾濫して市の中心部が冠水し,7名が亡くなるという甚大な浸水被害があった地域です。私が本宮を訪れたのは浸水被害から1週間後のこと。すでに水は引いていましたが,通りの両側にはガレキや浸水した家の中から運び出された家財が山積みになっていました。消毒のための消石灰が大量に撒かれ,また,氾濫で街に流れ込んだ大量の土砂が乾いて飛散しているため,街の中は霞がかかったよう。マスクをしていないと粉じんを吸い込んでしまいそうでした。本宮駅のすぐ近くにある蔵元「水天狗酒造」でも約50cmの浸水があり,酒米や工場設備が水没してしまったそうです。街の復旧にはまだまだ時間がかかりそうでした。

この地域は昭和61年にも大洪水に見舞われています。堤防の嵩上げ等の対策は行われていたらしいのですが,今回の台風19号による洪水は,61年洪水の規模を遥かに上回るものになったのだとのこと。台風19号による降水量は,河川整備の基準となる“計画降雨”を超えたところもいくつかあったようです。大規模なダムの建設に巨費を投じるより,住宅密集地を流れる河川の築堤,堤防嵩上げといった治水対策にもっと力を入れる必要があると感じた今回の台風19号の被害でした。

〔lawyer’ blog〕✍ ある雇止め事件の解決

10月に入り,遂に消費税が10%にアップしてしまいました。9月の最終週の週末は,ビール,洗剤,ティッシュペーパー,トイレットペーパーなどをまとめ買いし,ガソリンも満タンにしました。事務所でもプリンターのインクやコピー用紙などを大量に購入。へたりのきていたお客様用のスリッパもこの機会に買い替えました。せめてもの“抵抗”と思って汗をかきましたが,計算してみるとたいした節約になっていないことがわかってがっくり(笑)。野党の中では増税が目前という時期になって,急に消費税の廃止,税率の見直しに向けた共闘の動きが出てきましたが,そういった議論は参議院選挙前にもっとしっかりして欲しかった。消費税増税で,経済的弱者の負担は増えて格差も拡がるばかり。与党も巻き込んで議論が深まるとよいなと思うのですが,首相の所信表明演説を聞いていると彼の頭の中は“憲法改正”で一杯のよう。とても期待できそうもありません。

そんなドタバタした月末でしたが,この事務所の開設をはさんで3年半余り取り組んできたある労働事件が解決しました。大手企業の北関東支社で10数年にわたって勤務していた契約社員のWさんが,能力の不足を理由に突然雇止めされたという事件。2013年4月に施行された労働契約法によって,Wさんは会社に無期契約への転換を要求できるはずだったのですが,その直前,無期化するには一定期間内に能力等級3級に昇級する必要があるという新しい人事制度が導入され,昇級の未達成を理由に雇い止めが強行されたため,こうした人事制度の導入は労働契約法18条の規定を潜脱するものではないかということで世間的にも注目を集めた事案でした。この制度で雇止めされた社員は多数いましたが,裁判の原告となったのはWさんただ一人。労働組合での活動経験など全くない普通の女性社員だったWさんでしたが,「女性ユニオン東京」という個人加盟できる労働組合のバックアップも得ながら,立派に3年余に及ぶ裁判を闘い抜きました。

先月末にあった報告集会で,Wさんから「弁護団の皆さんとの打ち合わせがなくなると思うと今となっては淋しい。ぜひ同窓会をお願いしたい。」と言っていただけたのはとても嬉しかった。私にとっても忘れられない事件の一つになりました。

 

〔lawyer’ blog〕✍ 大西鐵之祐監督のこと

NHK-BSスペシャル「50年前 日本ラグビーは世界に迫った~伝説のイングランド戦~」を見ました。大西鐵之祐監督率いる日本代表が,ラグビーの母国イングランド代表を相手に勝利まであと一歩と迫った伝説の試合を関係者へのインタビューを交えて掘り下げるというもの。この試合が行われたのは1971(昭和46)年9月のこと。当時,私はまだ8歳。スポーツ大好き,テレビも大好きの小学生ではありましたが,さすがに生でこの試合を見た記憶はありません。日本代表が好プレーをしたシーンばかりで番組が構成されていたということもあるとは思いますが,それを割り引いても,素晴らしいラグビーをしたものだと少なからず感動を覚えました。

大西鐵之祐監督と言えば,“早稲田ラグビー”の危機を何度も救ってくれた,早稲田にとっては神様のような存在です。1962(昭和37)年には,対抗戦Bブロックに転落していた早稲田を1シーズンでAブロックに復帰させ,しかも,ライバル明治にも勝利しました。日本代表監督を退いた後の1981(昭和56)年には,長期低迷状態にあった早稲田の再建をふたたび託され,本城,吉野らを擁して対抗戦で連戦連勝。全勝同士の対戦となった明治との試合にも勝利して,久しぶりの対抗戦優勝を果たしました。当時,私は早大学院の3年生。大西監督は,1977(昭和52)年に早大学院ラグビー部のヘッドコーチに就任し,母校を花園・初出場に導いていて,81年の大学のチームにも,寺林,安田,野本といった学院時代に大西監督の薫陶を受けた選手たちが名を連ねていたので,後輩としては応援に自然と力が入りました(対抗戦優勝を受けて意気込んで応援に行った大学選手権の準決勝では明治に敗れてしまいましたが…)。

大学1年の時,一度だけ大西監督の講義を受けたことがあります。なぜ法学部生だった私が大西監督の講義を受けることになったのか自分では思い出すことができなかったのですが,同級生に聞いてみると,どうやら大西監督の講義が一般教養・保健体育の科目に含まれていて,抽選にあたった学生だけが講義を聞くことができた,ということのようです。早稲田の復活で湧いたシーズン後のことでしたから,学生で一杯の教室に監督が姿を見せると大きな拍手。「俺は心臓が悪いんだ。俺が倒れたらポケットのニトロを飲ませろよ。」なんてドキッとする発言から講義が始まり,スポーツ論,スポーツとナショナリズムなどについて熱く話をしてくれました。

今回のNHKの番組でひとつ残念だったのは大西監督の肉声が入っていなかったこと。人をぐっと惹きつける話術を持った方と記憶していただけに,生前のインタビューなどを探して番組に組み込んでもらいたかった。

大西監督が鬼籍に入られたのが1995(平成7)年のこと。当時,世界に全く歯が立たなかった日本ラグビーは,この10数年の間に劇的な変化を遂げました。今の日本代表のプレースタイルを大西監督はどう評されるのか。ラグビーのW杯,いよいよ今週金曜日に開幕を迎えます。

〔lawyer’ blog〕✍ 「夏空」と子育て

暦は9月になりました。夏休みの間,事務所の前にある公園の広場はたくさんの子どもたちで賑わっていましたが,それも昨日で終わり。今日から2学期が始まりました。ようやく騒々しさが治まるなとほっとする反面,ちょっと淋しい気もします。

夏の終わりとともに,朝ドラ『夏空』も残すところあと1ヶ月になりました。ここのところ,なつと一久さんとの間に生まれた優ちゃんの愛くるしさに毎日癒やされているのですが,それと同時に,なつらが子どもの預け先を探すのに苦労する姿を見ていて,昭和のあの時代に“共働き”で子育てをすることの大変さに思いを馳せていました。

私も“共働き”の家庭で育てられ,子どもの頃は本当に色々なところに預けられ,色々な人たちに可愛がってもらいました。3歳までは借家から10分少々のところで子どもを預かってくれる一般家庭に預けられました。4歳からは母の勤務先(ろう学校でした。)の近くの幼稚園に入ったのですが,幼稚園は早く終わってしまうので,その後は母の仕事が終わるまで学校の用務員さんの部屋に預けられました。「保育園」には小学校にあがる直前の半年間だけ,0歳の妹と一緒に通いました。乳児保育はまだ珍しい時代でした。小学校にあがってからの最初の2年間は“鍵っ子”の生活でした。団地の上の階で活版印刷の内職をしていたおばさんのところに行き,よくおやつをもらいました。当時,私が住んでいたK市にはまだ学童保育がありませんでした。学童保育を作るよう市と交渉した母から,当時のK市長が「あなたたちはホトトギスか」なんてトンデモ発言をして,それでお母さんたちの運動に一気に火がついたなんてエピソードを聞かされたことがあります。そうやってようやくできた学童保育に3・4年生の時は入りました(が,正直,あまり面白いところではありませんでした)。

そんな時代からもう半世紀。でも,働くママさん(パパも)たちの子育ての環境には相変わらずの部分も多いようです。“保育園落ちた 日本死ね”って,一体,いつの時代の話しだよってことですよね。この国では,現代の働くママさん,パパさんは,なつと一久さんと同様,いつまでも戦わなければならないみたいです。

 

〔lawyer’ blog〕✍ 本所,向島界わい

先週,相続財産管理人としてもう3年以上も管理を続けているマンションの賃借人が退室したということで,物件の状態を確認しておこうと現地に行ってきました。墨田区向島にある古いマンションの一室が管理している物件。半蔵門線の押上駅近くにある不動産屋に鍵を預けているので,まず,都営浅草線の本所吾妻橋駅で降りて,浅草通りを東にこのお店に向かいました。

途中,通りの右手に幟が立ったビルの姿が目に入りました。江戸初期に創建された「春慶寺」という日蓮宗のお寺。池波正太郎の「鬼平犯科帳」の中で,鬼平の剣友,岸井左馬之助の寄宿先として何度か登場するお寺が,今では5階建てのビルに姿を変えているのでした。

不動産屋で鍵を受け取り,マンションがある向島に向かいます。地図で下調べをすると1km少々だったので徒歩でも楽勝と考えていたのですが,当日は40度近い大変な猛暑。日射しを遮る街路樹もなく,スカイツリーラインの踏切を渡ったあたりから意識が朦朧としてきました。吹き出してくる汗を拭いながら都立本所高等学校の前を通りかかると,歩道に案内板が立っています。森鴎外旧居跡の案内板。10歳の時に父とともに津和野から上京した鴎外は,東向島のこの地にあった家から東京医学校予科(現在の東大医学部)に通っていたのだそうです。

本所・向島界わい,ぶらりと散歩をするにはとても楽しそう。でも,この炎天下に3kmも歩いたのは大失敗で,翌日,体調を崩してしまいました。この暑さ,しばらく続くようです。皆さまもどうぞご自愛ください。