〔lawyer’ blog〕✍ 軽井沢「南ヶ丘美術館」

ここ数日,クーラーをつけたままにしなくても眠ることができるようになりました。というより,薄い布団をかけていないと風邪をひいてしまいそうなくらいです。6月から続いていた酷暑,酷夏も,どうやら終わりが見えてきたよう。梅雨を飛び越して始まったこの暑さ,何時まで続くのだろうと思っていたのですが,何事にもちゃんと終わりは来るものなのですね。

終わりといえば,事務所の夏休みも今日でお仕舞いです。まだ利用したことのない北海道新幹線に乗って函館へ,はたまた世界文化遺産に指定された長崎・天草へなどと考えたこともあったのですが,懐の具合もあって,最終的には近場の軽井沢に落ち着きました。旧軽銀座をぷらぷらし,ハルニレテラスでお蕎麦を食べ,ジョン・レノンがお気に入りだったという“離山房”でコーヒーを飲むという,まったく新味のない過ごし方をしてきたのですが,一か所だけ初めて訪ねた場所がありました。「南ヶ丘美術館」です。東山魁夷やワイエス,ビュッフェなどの絵画が展示された美術館ではあるのですが,見応えがあったのは,絵ではなく,「三五荘」という建物。江戸末期,塩山に建てられた豪農の古民家を,日立造船の社長などを務めた大阪の実業家・原田六郎が,1935年に軽井沢の地に移築して別荘としたものです。戦後,GHQの接収を経て,東急の五島慶太氏の手に渡り,長く東急グループ幹部が利用する施設になっていたよう。1984年に隣接地に研修施設等を有していた学校法人中央工学院が買い取り,1991年から一般にも公開されるようになったのだそうです。

三五荘の前に広がる日本庭園のその先には,白洲次郎が理事長を務めたことで知られる超名門ゴルフ・コース,「軽井沢ゴルフ倶楽部」の(たぶん)7番ショート・ホールが見えます。このコースの会員でもあった原田氏は,三五荘を私的なクラブハウスのように使おうとしていたのだとか。なんとも優雅な話です。

軽井沢でゆったりとした時間を過ごし,帰りは伊香保方面に足を延ばして水沢うどんでお腹を満たし,すっかりリフレッシュできました。明日からの仕事,フルスロットルでいけそうです。

 

〔lawyer’ blog〕✍ 記憶に残る7月

連日の猛暑,酷暑で体の中に確実にダメージが蓄積していっているような気がします。西日本の豪雨災害もそうですが,少し前までではちょっと考えられないような異常な気象現象が続いた7月でした。

このたぶんずっと記憶に残るであろう7月にあった出来事の中で一番心がざわついたのは,オウム事件関連の死刑囚13名に対する刑の執行のニュースでした。今年の3月,東京拘置所に収容されていたオウム関連の死刑囚のうち7名の身柄が,大阪・名古屋などの拘置所に移されたという報道があり,刑の執行の時期が迫っていることは予想はしていました。それでも,こんなに早く,しかも6日の麻原彰晃ら7名に続いて,26日に残りの6名についても立て続けに刑が執行されるということは想像していませんでした。一部の報道にあるように,「平成」が終わる前に,東京オリンピックが近くなる前に,区切りをつけてしまいたい,そんな思惑が政府に本当にあったのか…。死刑の存置についての意見は様々かと思いますが(私は反対です。),今回の執行については違和感を感じた方も少なくなかったのではないかと思います。

死刑が執行された13名の多くが50歳代。ちょうど私と同世代です。H元死刑囚は高校の一年後輩。面識はまったくありませんが,彼を知る同級生から,非常に真面目で優秀な奴だったと聞いたことがあります。比較的裕福な家庭で育った学生が多いなかで,アルバイトで学費を稼ぐ苦学生だったようです。大学・大学院での指導担当教授に「博士課程に進んでいたらノーベル賞級の学者になった」とコメントさせるような優秀な人物が,あのようなテロ行為に加担してしまったのはなぜなのか。宗教的教義を使ったマインド・コントロールの脅威は,オウム以降,アルカイダやイスラム国らによるテロにも共通するところがあるように思います。

今日,オウム関連事件の刑事裁判記録を法務大臣が永久保存する指定をしたという報道がありました。しかし,オウム事件については,その捜査過程や裁判手続自体にも色々と問題がありました。記録保存は当然のことですが,刑の執行の前に,できたこと,しておくべきことはほかにも色々あったように思えてなりません。

 

〔lawyer’ blog〕✍ サラメシ・その4 仙台「牛たん定食」と七夕

年から原発事故で故郷を追われ避難している方たちの集団訴訟の弁護団に加わっています。弁護団の中心を仙台の先生たちが担ってくださっているため,弁護団会議は仙台の中心部,晩翠通りから東に少し入ったところにある法律事務所で行うことになっています。この事務所に通うようになって気になっていたのが,すぐ近くにある牛たんのお店。店構えからすると,だいぶ前からある老舗のよう。会議は午後1時からなので,その前にこの店でお昼ご飯を食べようといつも考えるのですが,仕事が詰まってくると,どうしても仙台に行く前に一仕事ということになってしまい,昼食は新幹線の中で済ませてばかりでした。

今回は何とか午前の仕事を入れずにすみそう。ということで,仙台に通うようになってほぼ1年,今月初め,ついに念願の牛たん定食にありつきました。びっくりしたのが麦の入ったご飯の量。こんな山盛り食べられるかと一瞬思ったのですが,お肉はもちろん,テールスープ,付け合わせのキャベツの漬物もとても美味しくて,あっさりと完食してしまいました。

この日,午前中に仕事を入れなかったので,仙台に着いたのが午前11時過ぎ。牛たん屋さんに向かう前に,駅から延びる商店街の七夕の飾りつけを眺めていこうと目論んでいたのですが,仙台の七夕は,中暦,8月6日からだったのですね。当然,商店街には何の飾りつけもなく,お店まで1km近くの道のりをとぼとぼ歩きました(完食できたのは,このためかも)。ということで,七夕はこちら。地元,川口の商店街の七夕祭りです。仙台の七夕祭りと比べてはいけないのかもしれませんが,それなりの賑わいでした! 

《Staff blog》ロードレースへ復帰した感

お久しぶりのサイクリスト事務員です。

7月7日、筑波サーキットで「9極の9耐」と銘を打たれた自転車ロードレース大会が開催されました。メインレースは9時間耐久レースですが、私は昨年同様、100kmチャレンジのカテゴリーに出走しました。

青一色のジャージが私です。

筑波サーキット一周2.07kmを49周、101.43kmを戦った結果、2時間45分33秒で完走しました。先頭との差は21分45秒。出走者115人中48位です。昨年のタイムが3時間44分40秒でしたので、59分07秒縮めたことになります。

昨年は8月5日開催で、炎天下の中での戦いでしたが、今年は曇り空で気温も27度程度でしたので、ピットに戻って補給することなく走りきりました。

今年の目標は、当初から3時間を切ることでした。100kmを3時間切って走るには平均速度33.4km/h以上で走り続けなければならず、ピットに戻って補給することは捨てなければなりません。ただ、最近中途覚醒に悩まされて、睡眠が十分取れていませんでしたので、ノーピットインは無理かなと思い補給食をドッサリ持っていきましたが、走る前と走り終わってからの2個しか使いませんでした。

今年、平均速度36.76km/hで走ることができたのは、トップ集団からとり溢れた小集団に混ざっていたからです。

自転車競技は空気の壁との戦いでもあります。単独で101.43kmを35km/hを維持して走ることはなかなかできないことです。先頭を交代しながら空気抵抗を分担することで高速の巡航を維持することができます。昨年はほぼ単独で走っていましたから、4回もピットインし、平均速度は27km/hでした。

今年は小集団の中にいて、自分も度々頭を引きました。そのことでレースを楽しめましたし、若い時期、すべてを注ぎ込んだ自転車ロードレースに、本当の意味で復帰した感じがしています。

チームメイトのT君(19歳)も同時に100kmチャレンジに出走しました。彼は今年の2月からロードバイクに乗り始めたのですが、私よりわずか53秒遅れでゴールしました。若いとはそれだけですごいことですね。でも、まだ負けるわけにはいきません。

昨年は、ゴオオオという感じで抜かされていた先頭グループも、今年はジワジワ抜いていく感じで、どんな人が先頭を走っているのか観察することができました。ここまできたからには、来年は先頭集団で戦い、勝負に絡めるように、また一年間練習を積み重ねていこうと思います。

レース中、声援を送り続けてくれた友人と娘に感謝します。声援は力になりますね!

〔lawyer’ blog〕✍ 『半分,青い。』と早稲田界わい

梅雨が明けたのと同時に今年も半分が終わろうとしています。そして,NHKの朝ドラ『半分,青い。』も折り返し地点に。『あまちゃん』,『ひよっこ』の時ほどハマってはいないのですが,時代設定が私の学生時代から社会人になって働きだした頃に重なっていたり,律(りつ)が通う“西北大学”が母校早稲田界わいを連想させてくれたりということもあって,何となくここまで見続けています。喫茶「おもかげ」は神田川にかかる“面影橋”の傍にあるんでしょうね,きっと。

このドラマの放送が始まる前,予告編が流れ出した時に驚いたのは,漫画家を目指す主人公鈴愛(すずめ)の師匠となる秋月羽織の描く絵にくらもちふさこの実際の漫画が使われていたこと。以前,恩田陸の『蜜蜂と遠雷』のことをこのブログで書いた時,恩田さんはくらもちふさこの『いつもポケットにショパン』からインスピレーションを得たのではないかと思ったと書きましたが(実際は違ったようです。),『半分,青い。』の脚本を書いている北川悦吏子さんも恩田さんや私とほぼ同世代。『蜜蜂と遠雷』を読んだ北川さんが『いつもポケットにショパン』を思い出して今回のドラマのストーリーに組み込んだなんてことももしかするとあるのかも知れません。

ところで,以前のブログで恩田陸さんとは間接的なつながりがあると書きました。彼女の自伝的な小説『ブラザー・サン シスター・ムーン』の第2部「青い花」で主人公の衛(まもる)が入部するジャズ研の先輩,ゲロウマなテナー・サックス奏者“早瀬”のモデルになっている人物が,高校・大学を通じての同級生Y君なのです。恩田さんが直木賞を受賞した後に手にした『ブラザー・サン シスター・ムーン』の文庫本に「恩田陸,大学の先輩と語る」と題したY君との特別対談が収録されていてビックリしました。直木賞作家が書いた小説のモデルになった人物のことを当時身近にいて知っているというのはちょっと不思議な感覚です。

大学1,2年の時にはY君らと連れ立って高田馬場のジャズ喫茶MILESTONEに本当に良く行きました。ジャズ喫茶というと私語NGなんていう店もあったのですが,ここは自由な雰囲気でとても居心地がよかった。恩田さんもハイ・ソサエティ・オーケストラでサックスを吹いていたようなので,この店で一緒になったこともあったかも。MILESTONEは10年くらい前に(ずいぶんとシャレオツに)リニューアルしましたが今も健在。早稲田界わい,時間ができたらまたふらっと訪ねてみようと思います。

〔lawyer’ blog〕✍ “万引き家族”,“フロリダ・プロジェクト”,そしてSKIPシティ国際Dシネマ映画祭

先週土曜日,MOVIX川口で是枝裕和監督の「万引き家族」を見てきました。事務所の目の前にあるショッピングモールの中の映画館なのですが,アニメやファミリー向け作品の上映が中心なので,今まで一度も利用したことはありませんでした。封切り2日目,最初の土曜日,そして何よりカンヌ映画祭のパルムドール受賞ということで,座席数が最も多い1番スクリーンでしたが,7割近くの席が埋まっていました。

ひとつ屋根の下で暮らしてはいるけれど,本当の家族ではなく,奇妙な関係でつながっている同居人たち。そこに両親から虐待されて団地のベランダに締め出されていた女の子が加わって,括弧付きの「家族」の絆が生まれていくというストーリー。実際にあった事件を想起させるリアルなドキュメンタリーのような部分と映画的なフィクショナルな部分との混ぜ具合が絶妙。優等生過ぎて面白みに欠けるなんて意見もあるようですが,祖母役の樹木希林,駄菓子屋の店主役の柄本明らのユーモラスな演技で館内にクスクス笑いが拡がるシーンが何度もあったりして,“社会派”に括られがちなこれまでの是枝作品とはひと味違う感じがしました。

映画といえば,先月,シェーン・ベーカー監督の「フロリダ・プロジェクト」も見たのですが,この2つの作品,真っ当ではないことを生業にしているどうしようもない大人と,その大人と一緒に暮らす愛らしい子どもたちが描かれているという点で共通。そして,こんな生活はいつまでも続かないだろうなという予感がスクリーンに満ちていて,実際,最後に破綻が待ち受けているという点でも共通しています。でも,ラストシーンは好対照。見比べてみると面白いと思います。

初めて利用したMOVIX川口ですが,今年は,15回目を迎えたSKIPシティ国際Dシネマ映画祭のサブ会場になるようです。国際コンペティション部門の10作品がこの会場でも上映されるらしいので,うまく時間を作って見に行ってみようと思います。

〔lawyer’ blog〕✍ 「小ざさ」の最中

私が担当している事件の依頼者は7割強が埼玉在住で,東京にお住まいの方が2割弱,残りがその他の地域といった割合でしょうか。そして,東京といっても,埼玉に隣接する北,板橋,練馬,足立あたりからの相談は珍しくはないのですが,23区の中でも南の地域にお住いの方から相談を受けることは滅多にありません。先日,杉並にお住いの方から相談を受けた際,こちらをお土産で頂きました。「小ざさ(こざさ)」の最中です。吉祥寺ハモニカ横丁の北の端にあり,行列ができるお店として有名な「小ざさ」。1日限定150本の羊羹を手に入れるには,朝5時とか6時とかに並ばなくてはいけないのだそう。何とか手に入れようと行列する人たちの様子は幾度もテレビで取り上げられています。最中はそこまでの希少品ではないのですが,夕方にお店に行っても並んでいないことが多いようです。

吉祥寺には,昔,「こんつぇると」という名曲喫茶があって,学生の時にはちょくちょく通いました。「小ざさ」の並びにある「肉のさとう」(こちらも今では行列ができるお店で有名)では,何度かコロッケを買って食べたことがあります。でも,当時は和菓子には関心がなかったので,「小ざさ」の前はいつも素通りしていました。

小ぶりで,餡の甘さも控えめなので,お茶請けにはうってつけです。美味しくいただきました。ありがとうございました。

〔lawyer’ blog〕✍ 20年振りの松江

宍道湖夕景

GWの前半,山陰地方を旅してきました。ふるさと納税の返礼品,大山Gビールを飲むうちに浮かんだ“妄想”に取り憑かれ,結局,妻を道連れに出雲,松江,そして倉敷(!)を旅することになりました。松江はNHKに勤めていた時の初任地。時代が昭和から平成へと替わる2年間をここで過ごしました。弁護士になってから,所属している法律家団体の大会が米子で開かれたことがあり,松江に前泊をしたことがありましたが,それも今から20年近くも前のこと。本当に久しぶりの松江訪問になりました。

まず驚いたのは,市の中央部の道路が片側2車線になっていたこと。宍道湖大橋までが片側2車線に! 私は松江で運転免許を取得したのですが,当時,市内には片側2車線の道路はJR松江駅の南側を走る国道9号線の数百メートルの区間しかなく,教習中に“車線変更”をしたという記憶がありません。現在は山陰自動車道なる高速道路までありますが,当時は山陰地方には有料道路すらなく,高速教習はビデオ視聴で済ませていました。東京に戻ってきてから,片側3車線の新青梅街道を初めて走った時のおそろしさは今でも忘れません(笑)。

道が拡げられたということは,それにともない街並みも変わったということ。“堀川めぐり”(これも30年前にはありませんでした。)の船の発着場の周辺は,カラコロ工房など色々な観光施設が整備されて活気がありましたが,東茶町や東本町の繁華街は,連休の昼間だったということもあるのかもしれませんが,かなり寂れた印象でした。そして,私の職場があった灘町,そのすぐ北側の白潟本町の界わい。天神町交差点から松江大橋南詰にかけて古い商店が立ち並ぶこの一帯の佇まいは,とても風情があって大好きな場所だったのですが,大規模な再開発の真っ只中にありました。山陰合同銀行本店ビルは解体されて瓦礫の山となり,隣には14階建ての新本店ビルがそびえ立っています。古くからの商店は,シャッターが閉まったままになっていたり,移転してしまっていたりと昔の面影はありません。私が働いていたNHKの放送会館は辛うじて当時のままの姿で残っていましたが,これも数年のうちに建て替えられるのだとか。30年という歳月が流れたことを改めて感じました。

そんな想いにとらわれながら松江大橋南詰に立ちすくんでいたところ,ある建物が目に入りました。解体工事の予定が書かれた標識の貼られています。“ぽえむ”が入っていた建物です。ネットには3月にも取り壊しが始まると書かれていたのですが,まだ工事が始まっていなかったのです。大橋の南詰,橋の本当にたもとにその建物はありました。大橋川越しに松江城を臨むことができる絶好のロケーション。“ぽえむ”がある時に来てみたかったなぁ。それでも嬉しくなって携帯を手にして撮影していたところ,通りかかった老夫婦から,“「ぽえむ」ですね。〇〇さんが亡くなってしまったからねぇ。”と声をかけていただきました。あの空間,そしてマスターを知る人と出会うことができて,時計が一気に巻き戻されたような感覚になりました。

この30年の間に多くのものが姿を消してしまいました。でも,お昼に「きがる」の割子蕎麦を食べ,65年振りに国宝に再指定された松江城の天守に登り,明々庵でまったりとした時間を過ごし,最後は県立美術館前から宍道湖に沈む夕日まで見ることができて,本当に良い思い出を作ることができました。

〔lawyer’ blog〕✍ 誰のための“働き方改革”なのか

GWを終えてから体調を崩してしまいました。夏のような暑さが続いていたと思っていたら,急に季節が一つ前に戻ってコートを羽織らないといけなかったり,体がついていけませんでした。まぁ,GWの前半,出雲,松江,そして倉敷と,短い日程でちょっと欲張りな旅をして,疲れをためたのもいけなかったのですが…。反省。20年振りに訪れた松江の変わりようについてはまた別の機会に書こうと思います。

GWを終えて国会も動き出しました。モリ・カケ問題にももちろん注目ですが,法案の行方が気になるのは「働き方改革一括法案」です。ご存知かと思いますが,この法案には「高度プロフェッショナル制度」という労働基準法の労働時間に関する規定を適用しなくても済むようにしてしまうという驚くべき制度が盛り込まれています。労基法の労働時間に関する規定の適用がない,ということは,例えば,1日の所定労働時間を午前9時から午後10時まで15時間とすることも(所定労働時間ですから残業代は「0」です。),ノルマを達成するまで休まずに働くよう命ずることも(休憩もなし,ということも可能。),すべて“違法”ではなくなってしまう,ということを意味します。おそろしいと思いませんか? “過労死促進法”という批判が起こるのもむべなるかなです。

政府は,この制度の対象となるのは自分で働き方を決めることができる高度な専門職に限られるから問題ないとしていますが,“自分で働き方を決めることができる人”のみが対象となるという保障はこの法案のどこにもありません。また,出勤・退社の時間を自分で決められる,それが働き方の改革につながるというのですが,今でもフレックスタイム制や有休の時間単位取得など色々な仕組みがあるのですから,「高度プロフェッショナル制度」を導入しなければならない理由としては余りにも弱いと言わざるを得ません。この制度の導入を歓迎するのは,労働者ではなく,労働時間の規制なしに労働者を働かせることができる使用者ということになります。現に経団連の榊原会長などは何度もこの制度の創設に強い期待を表明しています。

法案審議の山場は今月末となるようです。日本労働弁護団では,22日(火)午後6時30分から日比谷野音で集会と集会後の国会請願デモを企画しています。ぜひご参加ください。

〔lawyer’ blog〕✍ “開所祝い”とロゴマーク

2ヶ月ほど前,以前に所属していた事務所の大先輩*先生から“開所祝い”をいただきました。私がこの事務所を開いたのは昨年1月のこと。1年以上経ったこの時期の“開所祝い”にちょっと戸惑いましたが,*先生によれば,お祝いに何を贈ろうかと迷っているうち,あっという間に1年が過ぎてしまったのだとか(笑)。茶目っ気のある*先生らしい。

そして,その迷った*先生からいただいたのは,お花でも,お菓子でも,はたまた書籍でもなく,“ユキチ”が描かれた万能の神,いや“紙”。色々と迷われた結果,この結論にたどりつかれたようです。枚数は恐れ多くてちょっと書けません(*先生,本当にありがとうございます)。こうなると,今度は私が考える番。せっかく“開所祝い”としていただいたものを,毎月の経費の支払いに充ててしまうのでは(充てたいところはやまやまなのですが)何か失礼なような気がしますし,絵画や壺などの美術品を飾るだけのスペースは今の事務所にはありません。「新版注釈民法」という民法のコンメンタールをまとめ買い,オトナ買いしようかと一瞬思いましたが,出版されているものを揃えようとすると30万円近くしますし,何より民法は債権法の部分が昨年改正され,さらに,相続関係についても改正に向けた動きが活発化しているので,今は買うタイミングではないような気もします。私も色々と迷って最後に思いついたのが,事務所のロゴマークを作成することでした。

こちらがそのロゴマークになります。デザインをしていただいたマサさんによれば,“ひまわり”と“朝日”がモチーフになっていて,明るい未来を連想させるものとしているのだそうです。また,色の違う花びらは,ちょっとわかりずらいかもしれませんが,「川口」の文字を表現しています。地域密着で地元を明るく,と私がマサさんにお話しをした記憶はちょと定かではないのですが,心の内をくみ取っていただきました(笑)。

マサさんには,ロゴの作成に合わせてこのHPのTOPページを修正していただき,また,ロゴを使った封筒や名刺も作っていただきました。従来のものがなくなり次第,新しいものを使っていく予定です。皆さんに親しんでいただけるロゴになったのではないかと思いますし,何より,*先生からいただた開所祝いをカタチにして残すことができてよかったです。